名前を教えてあげる。
・雪解け
5月。
国分村の春風は、ほのかな甘みを含み目に肌にそっと優しい。
冬の間、頑固なまでに降り積もっていた雪は嘘だったかのように跡形もない。
山の木々や草花は命を謳歌し、陽射しはそれらを包み込むように柔和で心地よい。だから美緒はついあくびを繰り返してしまうのだ。
「ふあ…」
「美緒ちゃん、大丈夫かね?」
湯呑み茶碗を持った雅子が心配そうに美緒の顔を覗き込んだ。
「役場での仕事慣れんかね?お父さん無理なことを押し付けてないかね?」
「いやーそんなことないよ!職場の人はみんな優しいし和気あいあいやってる。まだ覚えなきゃいけないこといっぱいあるけど、楽しいよ!」
美緒がにっこり微笑むと雅子は安心したように、ふんふん、とうなずいた。
子供たちを学校に送り出した後の8時半から、美緒が出勤する9時半までの1時間、お茶を楽しむのが美緒と雅子の日課だった。
チャラチャラ〜…
雅子の手土産の煎餅を齧った途端、美緒のスマホが音を奏でた。
「あ、お父さんかな?こんな田舎でも電波入るんだからほんとありがたいよねえ」
もぐもぐしながら、大きな熊のマスコットをぶら下げたそれをを取り上げた。
「ん…?」
画面には「鼻」の文字。