名前を教えてあげる。
カラオケハウス『リトルマーメイド』
「あー、ヒマだなあ…」
金曜日の夜だというのに、『お茶を挽く』状態だった。
美緒はひとりでカウンターでほおづきを付き、客の来店を待っていた。
個人経営の8部屋しかない小さなカラオケボックス。
今、客は30代半ばの男が1人だけしかいなかった。
それもそのはず。
今年の秋を締めくくるような大型台風接近中。
夕方から急に風が強まり、時折ぱらぱらと大粒の雨が落ちてきた。
こんな日に最寄り駅から歩いて30分もかかるカラオケ店に、わざわざ来ようとする人間は少ない。
ただでさえ設備が古くて、最新の曲が入っていないと、しばしば客からクレームが付けられるような店。
専用駐車場は3台分しかない。
(なのに、美緒が出勤の日は、その貴重なスペースのひとつを従業員の車が占領してしまう)
ならば、それほど離れていない設備の整った大型カラオケ店に行こうと考えるのは当たり前のこと。
『リトルマーメイド』は、その店が満杯だった時、あぶれた客の受け皿みたいだった。
『お茶を挽く』
その言葉を美緒に教えたのは、高校時代の友達、間柴真由子(ましば まゆこ)だ。
高校3年の2学期が始まってしばらくすると、喧嘩したわけでもないのに、真由子とは疎遠になった。
真由子が家族と住んでいたアパートはすでに取り壊されて、コインパーキングになっている。