恋よりもっと―うちの狂犬、もとい騎士さま―
「姫川はこれから帰るだけ?」
「うん。あれ、名取くん、そういえば上から下りてきたけど何課なの? まさか入社したてで監査?」
「ああ、違う違う。俺は支店勤務なんだけど、今日は預金業務の研修会だったから。研修室、7階だろ? それで」
「あ、そっか。でも他の人は? 研修、ひとりじゃなかったんでしょ? みんな一斉に終わるんじゃないの?」
「俺だけ忘れ物して取りに戻ってたんだ。会社出てだいぶ歩いてから気づいてさ」
会社を出ると、重たい灰色をした空が映った。雲の切れ間からは紫色が覗いていて、いくつか星が見える。
明日は雨だっけと週間予報を思い出しながら数歩歩いたところで名取くんに「じゃあね」と笑顔を作った。
「仕事頑張っ……」
「あのさ、アドレス、高校ん時と変わってないから、俺」
「アドレス……?」
思い出すのは、高校の時の事。
隣の席になった名取くんにアドレス交換しようって言われて、なんだかそれぐらいの事を断るのもおかしいかなと思ってアドレス交換した。
だけど、その日の夜、名取くんのアドレスは由宇によって消去されたから、私の携帯に名取くんのアドレスが入っていたのは数時間だけで、もちろん今も入っていない。
それを正直に打ち明けると由宇が悪者になってしまう気がして、苦笑いしながら頭をフル回転させて嘘を探す。
「あ、あの、私携帯あの後川に落としちゃって」
「え、川?! なんで?!」
「えっと、川っていうか、水に、落としちゃって……その、雷が落ちて、あの……豪雨で水たまりに……」