南の島で自転車に乗って(8p)
そんな中、妻のハルが逝ってしまいました。
隆造より三つも若いのに、先に死んだのです。
ハルがいなくなって初めて、隆造の心にハルの口癖がひっかかりました。
若い時分から何度も聞かされてきたことです。
それでも、あえて聞き流してきたことでした。
ハルは南の小さな島で生まれました。
小学校を卒業する前に、一家は島を捨てて本土に渡ってきていましたから、島には家どころか何も残されてはいません。
でも、いつかは島に帰りたいと、ハルが口にしたのを隆造は聞き逃しませんでした。
「ほんと、いいとこでしたよ。島の南には小高い山がありましてね、そこに登ると海に浮かぶ島全体が見渡せるんですよ。そこからの眺めの奇麗なことと言ったら、もう喩えようがないくらい」
この街で生まれ、この街しか知らない隆造にとって、ハルの島への思いは、内心、隆造を不快にさせていました。
「その山の上から、真っ直ぐ海までのびている秘密の坂道がありましてね。それを自転車で下るんです。もう、目の前には真っ青な海が広がっていて、その中をブレーキもかけずにいっきにいくんです。すると、ふわあっと空を飛ぶんですよ」