博士と秘書のやさしい恋の始め方
なるほど、そういうことだったのか。

俺は気が短いほうだし、遠回しな言い方はあまり好まない。

しかしながら、彼女のこの回りくどさにはイライラさせられるどころか、いい具合にやられてしまった。

「ぜひ来てやってください。こいつも喜んで活性化することでしょう」

「活性化、ですか?」

「そうです。生産性があがってじゃんじゃんATPを生成します」

「ATP……逆から読むとPTA?」

「細胞や器官を動かすエネルギーです。生物で習いませんでしたか?」

おっと、自分の専門の話になるとつい……。

けれども、山下さんはくすくす笑って楽しそうだった。

「きっと習ったんでしょうね、忘れちゃいましたけど」

俺は思い切って提案した。

「今週の金曜はどうですか?」

「え?」

「よかったら、会いに来ませんか?」

「ぜひ。遊びに行かせてください」

返事はわかっていたが、彼女のはにかんだような笑顔に、安堵と嬉しさがこみあげた。

「では、また明日」

「はいっ。あ、気をつけて帰ってくださいねっっ」

「わかりました」

彼女が降りると、車の中はとたんにがらんと淋しくなる。

けれども、今夜は少々事情が違う。

助手席にぽつんと置かれたミトコンドリアに、奇妙な具合に笑いを誘われる俺なのだった。






< 157 / 226 >

この作品をシェア

pagetop