博士と秘書のやさしい恋の始め方
コンビニで買い物を済ませたあと、帰りはちょっと散歩がてら別の道を通っていくことに――。

すると、その途中で立ち寄った公園に思いがけない懐かしい遊具があった。

「ああっ、タコの滑り台」

「遊んだ記憶がある?」

「あります、ありますっ。でも、私の家から遠い公園だったから。たまに行くのがすごく楽しみだったんです」

全体がタコのかたちをした大きな滑り台。

足(手?)がちょうど階段や滑るところになっていて、くねくねカーブやトンネルがある複雑なつくりがおもしろい。

「俺は子どもの頃には見たことがなくて。ここで見たときは衝撃的だったな、この存在感が」

ちょっと目を細めて、しげしげと滑り台を眺める田中先生。

先生の子どもの頃かぁ……。

昨夜は習い事の話を少し聞かせてくれたっけ。

沖野先生の口ぶりだと、なんとなく田中先生の子ども時代には、その後の人生に大きな影響を与えるような特別なエピソードがあったようだ。

正直、すごく気になる。だって、先生のことをたくさん知りたいし。

もっともっと正直に言えば、何でも知りたいとさえ思ってしまう(これって、恋する女性にありがちな危険な心理だよね……危ないあぶない)。

でも、私からは聞かない。聞けないのではなくて、聞かない。

いつか――、先生……彼のほうから話してくれるのを待ちたいから。

そんな気持ちで、涼しげで穏やかな彼の横顔を盗み見る。

そうして、あらぬ衝動に駆られた私は――。

「隙あり!」

「えっ」

ちょっと背伸びをして、素早く彼の唇の端っこにキスをした。

もちろん、周りに誰にもいないのはよくよく確認ずみのうえ。

「驚きました?」

「驚いた」

「フッ、靖明くんは隙がありすぎなのだよ」

本当はそんなことはなくて、普段の彼はむしろ隙がなくてどこか閉じた感じがある。

でも、私のまえでは――心を許して開いてくれているような?

「俺もまだまだだな」

そうして彼は「合気道は姿勢が大切なんだ。隙があってはいけない」などと言いながら、私の肩を抱き寄せた。

「そろそろ帰りましょう? お腹、空いちゃいました」

「そうだな。じゃあ、行こうか」

「はいっ」

彼の手をひいて元気いっぱい歩き出す。

手にさげたコンビニ袋をぶらりと揺らしながら、彼がのんびりついてくる。

ふたりで一緒に帰りましょう。

きっと、ミトコンドリアも退屈しながら待っています。

だから、ゆっくり急いで(?)帰りましょう。

私たちの戻るべき場所、あなたの家へ――。













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