博士と秘書のやさしい恋の始め方
どうして、か……。メール、まだ見てくれていないのだな。彼女は驚いてはくれたが、喜んではくれなかった。

その明らかに困惑した表情に――なんだろう? 不安と苛立ちが入り混じったような複雑な感情がこみ上げた。

「布川先生の代理で急にこちらに来る用事ができて。そうしたら、山下さんの姿が見えたので」

こんなところで何を? そこにいる不遜な態度の男は何者ですか? いったい何の話を? 俺は声をかけないほうがよかったですか? 

内心では様々な疑問が渦巻いていた。しかしながら、その疑問をいっぺんに彼女にぶつけるようなことは辛うじて思いとどまった。

「そう、だったんですね。布川先生の代理で……」

「山下さんは研修ですよね? こんなところで何を?」

「あの、えーと……」

何か言いにくいことが? 戸惑いながら口ごもる彼女の表情が、俺を淋しく悲しくさせる。

「いやあ、僕が無理やり彼女を付き合わせてしまったんですよ」

だから……。何なんだよ、この男は。

初対面の人間を印象だけで決めつけるのもどうかと思うが、実に……鬱陶しい。

「こちらは?」

「あっ、えーと……以前本所で研究員をされていた遊佐先生です」

研究員? この男が?? このいかにもチャラそうなのが???

「えと、遊佐先生のご専門は環境――」

「どうも初めまして、遊佐と言います」

遊佐と名乗るその男は、彼女の言葉をむげに遮ると、まくしたてるように喋りはじめた。

「専門は環境経済学で、今は日本を離れてドイツのほうで研究をしているんですがね。僕、このたび結婚が決まりまして。その報告がてら一時帰国して古巣を訪れているというわけなんです」

またよく喋る男だな……。しかも、こちらが聞いてもいないどうでもいいことばかりペラペラと。

「それはおめでとうございます。申し遅れましたが、B研の田中と言います。山下さんとは同じラボで。それで、遊佐さんは山下さんとはどういう?」

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