博士と秘書のやさしい恋の始め方
遊佐先生と呼ばなかったのはわざとだ。

そんなことより、だ。彼女とはどういう関係で、こんなところへ“無理やり付き合わせた”その理由を聞いている。さあ答えてもらおうか。

「ああ、山下さんとはドイツつながりで。うちのオフィスのボスと彼女のボスが懇意ということもあって、ドイツ語に関してはずいぶんとお世話になりました」

オフィス? ボス? ラボとチームリーダーのことか? なんだその妙ちきりんな透かした言い方は……。

「いやあ、カフェテリアで偶然会って懐かしくて。迷惑ついでに、こうして土産物選びに付き合ってもらっていたわけですよー。ね、山下さん?」

本当か?

「え、ええ……」

嘘だな。完璧に嘘じゃないか。いったい何があったんだ? とにかく、彼女ときちんと話したい。

にもかかわらず、遊佐がまたまたどうでもいい話題を振ってきた。

「ところで田中さんは、B研ということは地質屋かゲノム屋といったところですか?」

出た出た、出たな……。

本所の研究員の中には、何を勘違いしているのか地方の支所の研究員をバカにしているやつがいる。

だいたい、専門にあるのは種類の違いであって、序列があるなんておかしいだろうが。

「ゲノム屋ですが、何か?」

「いえいえ、ちょっと聞いてみただけですよ。アハハ」

いちいち鬱陶しい男だな……。まあ、どうでもいい。

「すみません、もう用がお済でしたら山下さんを連れていきたいのですが。ちょうど週明けのラボミーティングのことで相談がありましてね」

ま、嘘なんだが。なんとしても、今すぐふたりきりで話したかった。

「ああ、どうぞどうぞ」

なんだこの軽薄さは? 

頑なに拒否されるのも困るが、彼女に対してこんなふうに「もう用無し」みたいな言い方をされるのは無性に腹がたった。
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