博士と秘書のやさしい恋の始め方
こんなふうに彼女が俺に何かをねだるのは初めてだった。

きっと、いつもの俺なら素直に喜んだと思う。しかしながら、今はどうにもこうにも……。

何か特別な意図でもあるのかと、あらぬ心配をしていらぬ緊張をしてしまう。

もちろん、彼女にはたくさん甘えて欲しい。おかしな嗜好に思われそうだが「振り回されてみたい」という願望もあったりなかったり……。

そんな俺が、期待するところとはまったく別のかたちで彼女に翻弄されているのだから皮肉なものだ。

彼女の心理がよめず行きつ戻りつ、自問自答と一喜一憂を繰り返しているのだから――。

結局、昼間の件には触れられぬまま……。

食事を終えた俺たちは、そのまま車で彼女がリクエストした場所へと向かった。

車の中でも話題になるのは他愛のないことばかり。

彼女はいたっていつもどおりで、ニコニコ穏やかに笑っている。

なのに、俺は――わずかな苛立ちを感じていた。

誰に苛立っているのかも、何を苛立っているのかもわからない、なんとも言い知れぬ苛立ちを……。

「わあー。けっこう人がいますね」

「県内ではわりと有名な場所だから」

到着したその場所は、タウン誌でもよく取り上げられる地元ではそこそこ知られた夜景スポットだった。

彼女はこの場所を三角さんから教わったらしい。B市では絶対にはずせないデートスポットなのだ、と。

まったくあの人は……。これからも俺の彼女に様々な入れ知恵をして楽しむつもりなのだろうな。ありがたいことも、そうでないことも。

三角さんはデートスポットと教えたようだが、実際に訪れているのはカップルばかりではなさそうだった。

べったりと寄り添ってふたりの世界に入っているカップルもいれば、学生と思しき若さと時間を持て余した連中もいる。それぞれがいい塩梅に距離を置きつつ、夜景と夏時間を楽しんでいるようだった。

そして、俺たちはというと――。

「すごい、港のほうまで見えるんですね」

「華やかとは言えないが、味のある景色とは言えるかな」

車を降りて、とりあえず適当な場所に陣取った。

そうして、しばらく黙ったまま……ぼんやりとなんとなく夜景を眺めていた。

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