博士と秘書のやさしい恋の始め方
突拍子の無い美緒の発言に、おにぎりが喉につまりそうになった。

「なっ……何をっ」

「布川研には現在独身の男性が三人。人事課育ちを舐めんじゃないわよ」

人事課育ちって……。そりゃあ美緒は人事課にいたことがあるけど、それって本所にいた頃の話じゃない。

まあ確かに、布川研(うちのラボは「布川先生の研究グループ」なので布川研)には、田中先生と古賀先生とテクニカルで黒一点の真鍋(まなべ)さんがいるけれど。

「情報によると、古賀先生は最近彼女ができたばかりでラブラブ。真鍋さんは合コン連敗中でちょっと自暴自棄になってるみたいね」

「私よりも私のラボに詳しい美緒が怖い……」

「だからね、田中先生にしておきなさい」

「ええっ」

なんだろう、その名前を聞いただけなのに過剰に反応したりして。

なぜだかどきりとして、胸がきゅっと熱くなる感じがした。

「そんな、“しておきなさい”って言われても……」

「研究者だっていいじゃないっ。すべての研究者が遊佐(ゆさ)先生みたいなわけないよ!」

その名前を聞いただけで、今度は胸がずきんと痛んだ……。

遊佐省吾(ゆさしょうご)。

私が好きになった人。

私を捨てて、大きな夢と野心を抱いて遠くへ行ってしまった人。

「美緒……」

「ごめん。でもっ――」

「うん。わかってるよ、わかってるから……ありがとね」

美緒がどれほど心配してくれているのかも。

あの人とのことは、忘れたほうがいいってことも……。

美緒は「沙理は私の大事な友達だからね」と微笑んで、「これ以上は何も言わない」と遊佐先生の話をやめにした。
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