博士と秘書のやさしい恋の始め方
ちょうど三角さんに会えて進捗も問題点も確認できたし、居室に戻ることにした。

以前は自分の居場所は実験室で戻る場所もそこだったのに、こうも変わるとは。

戻るまえに一服したい、でもさっき吸ったばっかりか……。

そんなことを考えつつぼんやり歩いていると、どこからか声をかけられた。

「田中先生!」

テクニカルの居室から出てきた山下さんは、廊下の奥に俺の姿を見つけるやいなやパタパタと小走りでかけよってきた。

「あのっ、すみません、一瞬だけよろしいですか?」

何か相談があるとき、彼女は決まってこの言い方をする。

お忙しいのは重々承知しておりますが少しだけお時間いただけますか、という低姿勢。

こんなふうに下手に出られたら、なんとなくこちらも無下にはできなくなるというものだ。

しかしながら――彼女の優しい心情をわかっていて意地悪したくなるのはなぜだろう。

「一瞬だけなら」

本当はまったく急いでなんていないのだが。

「すみませんっ。えーと、ですね――」

「ハイ、一瞬」

「ええっ」

山下さんは驚きと困惑の表情で俺を見上げた。

「あ、あのっ」

「冗談です」

「へ?」

「だから、冗談です。嘘ですよ、一瞬だけなんて」

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