博士と秘書のやさしい恋の始め方
うちの研究所では、異動の際には引き継ぎの機会を設けることが推奨されている。

三月下旬、私も異動先のチームリーダーと秘書の女性にアポを取って、一度だけラボに顔を出した。

チームリーダーの布川(ぬのかわ)先生は温厚そうだし、三人いる研究員のうち一番若手の古賀(こが)先生は明るい元気キャラって感じだし。

「テクニカルさん」と呼ばれる技術スタッフの人たちも特に感じの悪い人はいなくてほっとした。

ただ――前任の秘書、持田(もちだ)さんから気になることを耳にした。

「ほんっとうにね、ひとりだけどうしようもない人がいるんですよ」

持田さんはゆるい巻き髪を指先でくるくるいじりながら「あぁ、忌々しい!」と吐き捨てるように言った。

「研究の業績はなかなからしいし、顔もいいんですけどね。性格が超最悪。いつも偉そうな上から目線で、すっごい冷たくて。秘書のことをバカにしてるんです。自分は事務処理能力ゼロで、字なんか小学生以下の汚さなのに。笑っちゃいますよね」

その人の不在をいいことに言いたい放題。

正直、誰かの悪口を延々と聞かされるのは気分がいいものではなかった。

布川先生と古賀先生は「やれやれまたか」という表情で、肩をすくめて我関せず。

どうやら秘書の持田さんとその研究員の先生は、ラボ公認の犬猿の仲らしい。

持田さんの態度は秘書として(あるいは人として)どうかと思う。

だけど、秘書にここまで言わせる先生っていったい……。

私は心のメモ帳に書き込んだ(実際のノートに書き込むのはさすがに気が引けたので)。

“田中(たなか)先生には要注意!!”と……。
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