博士と秘書のやさしい恋の始め方
しげしげとこちらを眺める先生と、どんな表情をしてよいやら困ってしまい挙動不審(?)な私。

目が合うと、先生はなんとなく視線をそらして、私の真後ろにある棚のほうを見遣った。

業者さんによって組み上げられた天井の高さまである収納棚。その上部を見渡す先生の視線が、ちょうど私の真上あたりでふと止まる。

「あ」

「え?」

途端に田中先生は持っていた段ボールをその場に置いて、何やら急にこちらへ向かってずんずん歩いてきた。

「山下さん、そのまま」

「(ええっ!?)」

まるで迫るように田中先生が私の真正面に立ちはだかる。

「(ち、近いです……っっ)」

もちろん、そんな心の声が届くはずもなく……。

これって、これって、まさに壁ドン的な距離!? いやその……「ドン!」とかされてないし、そもそも背中の後ろは壁じゃなくて棚だしね、うん。

先生の胸、喉、肩、腕……その大きな体にすっかり視界を遮られてしまった私。

すると、先生は長い両腕を後ろの棚へすっと伸ばした。私では絶対に届かないような、私の頭の上の上くらいの高いところへ。

瞬間――先生との距離がいっそう縮まって、その腕の中に閉じ込められたような感覚に……。

田中先生のほんのり甘い煙草の匂いに、ざわめく心と高鳴る鼓動。私はまるで囚われたように身じろぎせず、じっと黙って目を伏せていた。

「やれやれ、こんなところにあったとは」

先生が棚の上からひょいと取っておろしたのは、私でも持てるくらいの大きさの段ボール箱だった。ちょーっとわかりにくい字だけれど、側面とフタのところに確かに「田中」と書いてある。

「ラボの引っ越しのときに行方不明になっていた私物です」

そういえば、業者さんが棚の設置をしたときに、それまで古い棚にあった物たちを新しい棚へ移動してくれて。

そうか、そのときに三角さんが言うところの地殻の変動が起こって、今まで何かで隠れていた田中先生の私物がひょっこり姿を現したわけだ。
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