博士と秘書のやさしい恋の始め方
「これ、山下さんに」

「えっ」

先生は抱えた箱の中から10センチほどの白い招き猫を取り出すと「どうぞ」と私に手渡した。

「もうひとつ」

「ええっ」

今度は同じ大きさの黒い招き猫。

「休日手当です」

「あ、でもっ」

えーと、私は先生と違って休日手当ちゃんともらえるのですが。って、そういう話ではなくてっ。

「よかったら差し上げます。猫、好きですよね?」

「それは、大好きですけど……」

でも、それを言ったら田中先生だって。だから持っていたんでしょうし、招き猫。しかも白と黒と二匹も。

「まあ遠慮せずに。今日だけでなくいつもお世話になっている感謝の気持ちです」

「じゃあ……白いほうだけ」

断固として遠慮するのもあれだし、だからといってふたつともいただくのは悪い気がして。すると――。

「ダメですよ。つがいという設定なんですから」

黒猫を箱に戻そうとする手を引込めなさいと言わんばかりに怒られた。その「つがい」という言い方と、招き猫に「設定」なんてしちゃう田中先生が妙に可愛くておかしくて心の中でくすりと笑う。

「つがいじゃあ引き離すわけにいかないですね」

「山下さんのせいで別居とか離婚とか、後味悪いでしょ」

「先生……」

「それにほら、俺の机の上はあんな状態ですし」

確かに田中先生のデスクは安全とは言えない。というか、危険がいっぱい……。いつ雪崩がくるかもわからないし。まるで樹海のように遭難したらもう最後かも。

「先生が仰ることは確かに――」

「特別です」

「えっ」

「二匹とももらってやってください。特別、山下さんには大サービスです」

なんだろう、なんだろう、なんだろう……!?「特別」という言葉がやけに大きく心に響いた。

「特別、ですか?」

「けっこう気に入っているんですから」

「ええっ」

「こいつら、なかなかいい顔しているでしょ?」

あ、ああ……「気に入っている」ってそういうことですよね。私はいったい何を勘違いしてんだか……。

「でも、山下さんのキレイな机の上に置いてもらえるなら」

「えーとですね、先生。それじゃあこういうのはどうでしょう?」

「こういうとは?」

「先生のデスクまわりが片付くまで、私が責任をもってお預かりします。だってまさか、あのまま散らかしっぱなしのつもりなわけないですものね。ね?」

「これはまた……」

田中先生は参ったなぁと苦笑して、二匹を私に「預けること」を承諾した。

それにしても、先生も私もいったい何をしてるんだろう。備品庫の隅っこで、段ボールの箱を挟んで向かい合って、招き猫を譲り合ったりして。

傍から見ればたぶん不思議で滑稽かも。でも、私にとってはすごく楽しくて嬉しくて。

おもしろついでに、何かのゲームみたいに、このまま向かい合って一緒に箱を持ったまま、カニ歩きで居室まで行ってもいいくらいだと思った。
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