博士と秘書のやさしい恋の始め方
◆秘書に白衣を着せてみた

「お先に失礼しまーすっ」

17時30分きっかり。元気な挨拶とともに山下さんが颯爽と去っていく。

どうしたのだろう、彼女が定時に退勤とは珍しい。それに、やけにいそいそ嬉しそうに帰っていったような。

いや、その……別にだからといって何が問題というわけではないのだが。定時あがりで嬉しそうなのがおかしいか? 金曜の夜に楽しい予定があって何が悪い? そう、すべてごくごく普通のこと。

しかしながら、今まで定時にあがることなど皆無だった山下さんが……。おそらく余程の用に違いない。

例えば――なんだ???

うきうきと足取りが軽くなるほどの楽しい用事とは?……と、いったい俺は何を余計な詮索を……。

「田中先生、今日は自分もお先に失礼します」

古賀先生は申し訳なさそうに言いつつも帰る気満々。本人は気づいていないだろうが頬がもう緩みっぱなしだ。

今日は布川先生もいないし、なにせ金曜の夜だから。きっとこれから最近できたばかりの彼女とやらと会うのだろう。さもありなん、といったところか。そのどうにもにやけた顔も仕方あるまい。

「お疲れ様です。俺はまだまだかかりそうなので」

「あっ、すみません。これから実験でしたよねっ。なんか、本当にすみませんっ」

いや、別に……最後は俺がしめて帰るので心配なくと言ったつもりだったのだが。なんとも言葉足らずだったらしい。かわいそうに古賀先生は嫌味を言われたと勘違いして平謝り。

しかしまあ、そうやって謝られると返ってこちらはみじめというか。「いやぁ、自分ばっかいい思いしてすんません」という軽い自慢にも受け取れますよ、と。

もっとも、古賀先生の人柄はよく知っているので、純粋に負い目を感じての発言だとはわかっている。いや、待てよ……ひょっとして俺は彼の善良な人柄を知っていて、わざわざ意地の悪い言い方をしたのでは?

どいつもこいつも嬉しそうにホイホイ帰りやがって、などと。いやまさか、そんなはずは……。

けれども、やはり無意識ながら不満を滲ませていた可能性は否めない。だいたい「どいつもこいつも」というのは誰と誰かという疑問も……。

何なんだ、このもやもやは。俺は存外疲れているのかもしれない。

「こちらのことは心配なく。俺もそう遅くならないうちに帰るつもりなので。大丈夫ですよ」

本当は実験の状況次第では朝までコースもありかと覚悟しているのだが。

どういうわけか、俺らしからぬ優しいことを言っていた。
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