博士と秘書のやさしい恋の始め方
ラックに何枚か女性スタッフのものがかかっているのが目に入ったが、やはり人様のものを勝手に拝借するのはいかがなものかと。

結局、ちょうど支給されたばかりの自分用の新品があったのでそれを持っていくことにした。

「これをどうぞ。俺のなんでけっこう大きいと思いますが……」

そう言いながら、ビニール袋を破こうとすると――。

「ダメです、もったいないですっっ」

透かさず強引に止められた。

「それ、このまえ届いた新品のやつじゃないですか」

さすが秘書さん、よくご存知で。

「いや、遅かれ早かれいずれ開けて着るわけですし」

「ダメです」

いや、ダメですと言われても……なんだか頑なだな。

「モノは大事に経費削減。とにかく無駄なことはしちゃダメです」

「それは、そうかもしれないが……」

ふと目を伏せると、山下さんが履いている実験室用の室内履きが目にとまった。

ピンクのマーカーで“mochida☆”と書かれているが……。

「その靴は……?」

「あ、お下がりをいただきました」

まるで「何か問題でも?」とけろりとした顔の山下さん。

聞けば、ほとんど新品同様だったので譲り受けたのだとか。

「ほんのちょこっとだけ緩いんですけどね、ぜんぜん平気です。跳んだり跳ねたり手つなぎ鬼とかするわけじゃないですし」

確かに実験室の中を移動するだけなら問題はさほどないのだろうが。

何故に例えが手つなぎ鬼??? やっぱり山下さんは少し変わっている……。

それにしても、サイズが合わないのであれば必要経費で購入しても問題ないだろうに。

「私、この部屋に入ることってあまりないと思いますし。もったいないですもんね」

この人は……さすが会計課育ちというべきか。

じゃあもう俺が新しいぴったりのを買ってあげますよ、と言いたくなった。

もっとも、そんなことをしたら、叱られた上に長々と説教されて速攻で返品に行かされそうだが。

「あの、よかったら田中先生の――」

「はい?」

「ですから、その……」

山下さんは何やらこちらの様子をうかがうように口ごもった。

「なんでしょう?」

「もし問題なければ、先生が着ているその白衣を私が一瞬だけお借りするというのは……どう、でしょうか?」

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