博士と秘書のやさしい恋の始め方
山下さんは驚くと同時に俺からふいと視線を逸らすと、さっと右手で口を覆った。

「…………飲んでませんよ?」

まったく、この人はまたばればれの嘘を……。

「飲んでるんですね。あ、別に酒の匂いがしたとかじゃないですよ。だいたい、就業時間後に飲んでいても問題ないじゃないですか」

「それは、そうかもしれないですけど。でも……」

「でも?」

「ちょーっと飲んだら、ちょこーっといい気持ちになって。そしたら、ふらーっとここへ来ちゃって。それでもって……田中先生のお仕事の邪魔をしてしまいました」

そうして視線を逸らしたまま、山下さんはふぅと小さくため息をついた。

「そんなことはないですよ」

実験はぼちぼち一段落というところだったし。

何より、こうしてあなたが来てくれてとても楽しかったのだから。

そして、こんなふうに誰かと過ごしている自分が、いや……過ごせている自分が、なんだかとても不思議でもあった。

「ちょうど気分転換したいと思っていたところでしたし」

「本当ですか?」

心許なげに俺を見上げる山下さん。

転びそうになった拍子に着崩れた白衣が、なんとも労しげじゃないか。

「本当です」

俺は彼女が着ている白衣の襟に手をかけると、それを気持ち整えた。

「それに、こんな弱みを握ることができました」

スマホで撮った写真を見せると、山下さんはあからさまにうろたえた。

「わわわわわわっ。ダメですよ、それはっ。私に送ったあとは絶対に消してくださいねっ。じゃないと、スマホに不具合が出ちゃうんですから!!」

「どんなウイルスですか……」

「あと、飲んでへらへらラボに来たことも内緒ですっ」

「仕方がない。そこまで言うならいいですよ、他言無用ということで」
< 57 / 226 >

この作品をシェア

pagetop