博士と秘書のやさしい恋の始め方
布川先生の名前が出てくるとは、ちょっと想定外だった。

それに、この話の流れだと布川先生は優しくないってことになるわけで……。

けど、さっきはワーキングマザーに理解があって協力的な上司だって言っていたのに。

優しくないって、どういうこと?

「布川先生は厳しく叱ったりしないの。そもそも、秘書を育てるのは自分の仕事ではないって考えなんでしょうね。実際そんなことする暇ないほど忙しいし」

確かに布川先生は忙しい。

ラボ内のことだけでなく、対外的な仕事も多いし。

「でもね、黙って何も言わないけどしっかり見てるわけ。それで、一定期間のうちにどうにもならない人間は容赦なくばっさり」

「そんな……」

私の知ってる布川先生は、いつも穏やかでイライラして他人にあたるようなこともまったくなくて。

秘書である私の話にもきちんと耳を傾けてくれるし。

けど……感情的になることがないぶん、内面が見えづらい人とも言えるのかも。

「モッチーは切られちゃったのよね。ほら、三年を待たずに二年で異動になったでしょ。まあねえ、あれだけ仕事できなかったら仕方ないと思うけど」

なるほど……。

事務方の異動は基本的には三年毎で、それより早く異動になるのは特別な事情があるときだけ。

例えば、能力を高く買われての大抜擢の異動とか、職場結婚で夫婦のどちらかが異動とか。

或いは、業務全体の差し障りとなるほどの“適性の不一致”とか……。

「できる人に対しては相応の評価と扱いをしてなんとしても手元におこうとするしね。けっこうドラスティックなやり方するのよ、布川先生って」

布川先生のにこやかな外面と、計り知れない内面とのギャップに背筋がぞくりとした。

「なんか怖くなってきました」

「山下さんは大丈夫よ」

「そう、でしょうか……」

「ええ、ぜーんぜん。仕事できるし、布川先生的にはそばに置いときたいはずよ。私たちテクニカルも頼りにしているし。それに――」

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