博士と秘書のやさしい恋の始め方
確かに周の言うとおり。

秘書なんて論外。そう、思っていたはずだった……。

単純に「ラボ内で恋愛なんて」という気持ちもあったし。

大学でも研究所でも「秘書さんが研究職の誰それとくっついた」というのは聞かない話ではない。

それでも、このごくごく狭い人間関係の中でよくできるなぁ、と。

そんな器用な芸当は到底自分にはできまい、と。

社内(所内?)恋愛など、はなから考えもしなかった。

それに――今の職場のラボだけでなく、学生時代に所属していた研究室にも秘書の女性はいたわけだが、たとえ彼女たちが独身でも、一般的に言うところの美人であっても、特別な魅力を感じることは俺にはなかった。

これはまったく偶々(たまたま)なのだろうが、どういうわけか俺の身近は仕事熱心でない秘書や、妙な具合に自分流にラボを仕切りたがる秘書ばかりで。

その怠慢や傲慢さのせいで何度となく煮え湯を飲まされてきた。

そういう経緯から、偏見というか、ある種の先入観を持って秘書を見ていたのは否めない。

しかしながら――。

「その秘書さんは特別なんだ?」

周は「ふふーん」と、おもしろそうにニヤリと笑った。

俺はその質問には答えないまま、頭の中で何度も同じ台詞を繰り返し唱えた。

山下さんは、特別……。

箸で芋の煮ころがしをつつきながら黙り込む俺を、周はさらに愉快そうに笑った。

「まああれだね。靖明も三十三歳にしてようやく本当の恋ってやつを知ったわけだ。いささか遅い気はするけど、とりあえず喜ばしいことじゃないか。うんうん」

「なんだよ、本当の恋って」

偉そうにのたまう周に、俺は少々不貞腐れて言った。
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