好きより、もっと。
「で、藤澤は何でそんな顔してるんだ。イイ男が台無しだぞ」
「いや、なんでもないです。時雨さん、控室にいらっしゃいますから。迎えに行ってあげてください」
櫻井さんと顔を合わせると自分の余裕のなさが浮き彫りになって苦しい。
良くないことだとわかっていても、仕事を理由にその場を逃げ出したかった。
仕事が待っているのは本当のことだ。
もうすぐ始まるイベントに集中しないと、大きなミスが起こる可能性だって高まる。
それだけは避けなくてはいけない。
アミが大切にしているクライアントの現場を、アミの代わりに仕切るんだ。
俺が代わりになってやらないで、誰がアミの代わりを出来るっていうんだ。
大きく深呼吸をして、仕事用の『藤澤 和美』の顔をする。
隙を見せずに笑う。
嫌悪感を出させないように控え目に、誠実そうに。
それでいて熱意のあるように、というとんでもない気を遣う作業を、俺は社会人になってから何回重ねて来ただろうか。
俺と同じ顔で仕事をしている兄を思いながら、俺は現場へと向かった。
最終確認事項とイベント進行確認のための資料を用意して、MCの到着を待つ。
黒いセダンの助手席にアミを乗せて運転席に座っているであろう姿を思い浮かべて苛立ちを感じたが、それも頭の隅に追いやった。
トンボ返りでもいいからタクに逢いたいと言ったアミに、イベントの成功という土産をやらないと。
今日だけは、俺の仕事の基準がアミでもいいはずだ。
そんなことを考えて仕事へと向かった。