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鍵をかけた恋の記憶
美桜《みお》にとって大本は、大学卒業以降にできた初めて彼氏であった。
仕事に振り回されていても、異性と出会う機会はあった。
けれど、看護師という不規則でハードな仕事を理解してくれる相手とは、なかなか巡り会うことができず、休みの日は、部屋から出ずに趣味で始めた内職の翻訳作業をしたりと、まさに仕事一色の20代前半だった。
年上の大本との付き合いは、すべてが新鮮だった。
医療の現場に身を置くふたり故に、互いの仕事の大変さを理解し、それを思いやることができる最高の関係だった。
ただ、付き合っていることは、院内では内緒にしていた。
病院という女社会において、医者と付き合っていることは、人間関係に不調をきたす要因でもあったし、病棟で一緒に働く仲間に気を使わせたくもなかった。
医師と看護師の関係を保ち、必要以上に話すことはなかった。
病院関係の人に見られないように病院から大分離れた場所で待ち合わせをし、デートをしていた。
恋人のように手を繋ぎ、陽のあたる街を歩いたり、電車に乗ったりすることはなかった。
連休を取り、旅行の計画を立てようにも、異動してきたばかりの大本が、長期の連休を取ることを許される雰囲気ではなかった。
付き合い始めは、会えるだけで良かった。
とはいえ、人間とはどんどん強欲になる生き物だ。
人目につかない逢瀬を重ねる毎に、普通のデートがしたいと思うようになった。
2人とも病院が用意した寮に居を構えており、互いの部屋を行き来することさえできない関係を嘆くこともあった。
そうした思いがあっても、彼にそれらをぶつける事はなかった。そして、別れたいとも思わなかった。
わがままを言って、彼を困らせたくなかったし、大切な人だと心から思っており、失いたくなかった。
何より、医師としての大本を尊敬していたし、そんな彼から愛されていると実感することもできていたから。
自由に会えなくても、2人で愛を育んでいると美桜は、思っていた。
けれど、ふたりの愛は、永遠に続く明るい未来ではなく、別れに向かって走り出していた。
年の瀬が迫るある日、美桜が出勤すると、病棟は大本の話題でもちきりだった。
病院という閉塞した職場では、いい噂もそうでない噂も、あっという間に広まってしまう。
噂の内容は、外科担当の医師事務の女性が、病院の敷地内にある医師寮の大本の部屋を頻繁に出入りしており、おそらく付き合っているだろうという内容だった。
美桜の病院の医師事務の仕事は、外来補助、書類の代理作成、スケジュール管理であり、医師が診療に集中できるよう雑務を一手に請け負い、サポートしていた。
外科担当の医師事務は2人おり、相手として噂の的になっているのは、入職1年目の女性だった。
大本は、病棟で看護師たちに冷やかされても、肯定も否定もしなかった。
そんな大本の態度は、噂に真実味を与えた。
そんな中、大本から噂の否定や言い訳の言葉はなく、美桜は不安な日々を過ごしていた。
年末が差し迫り、外科はオペが立て込み、大本は連日、外来診療とオペのハードなスケジュールを送っており、美桜は彼と会えない状況だった。仕事に忙殺されている彼に、噂の真偽について聞くことは出来なかった。
年末年始は外来診療が休診となり、休日当番や緊急オペがなければ医師は休暇となるが、病棟勤務の美桜は、単身者ということもあり、普段以上に過酷な勤務となっていたため、大本と会えないまま年を越し、新しい年が、始まった。
年が明けると、噂は落ち着きを見せた。
1月も半分が終わった頃、美桜は、病棟師長から勤務後に時間が取れるかと問われた。
その日は仕事が終わり次第、大本と会う約束をしていたが、美桜は、勤務シフトの話だろうと思い、首を縦に振った。
仕事に振り回されていても、異性と出会う機会はあった。
けれど、看護師という不規則でハードな仕事を理解してくれる相手とは、なかなか巡り会うことができず、休みの日は、部屋から出ずに趣味で始めた内職の翻訳作業をしたりと、まさに仕事一色の20代前半だった。
年上の大本との付き合いは、すべてが新鮮だった。
医療の現場に身を置くふたり故に、互いの仕事の大変さを理解し、それを思いやることができる最高の関係だった。
ただ、付き合っていることは、院内では内緒にしていた。
病院という女社会において、医者と付き合っていることは、人間関係に不調をきたす要因でもあったし、病棟で一緒に働く仲間に気を使わせたくもなかった。
医師と看護師の関係を保ち、必要以上に話すことはなかった。
病院関係の人に見られないように病院から大分離れた場所で待ち合わせをし、デートをしていた。
恋人のように手を繋ぎ、陽のあたる街を歩いたり、電車に乗ったりすることはなかった。
連休を取り、旅行の計画を立てようにも、異動してきたばかりの大本が、長期の連休を取ることを許される雰囲気ではなかった。
付き合い始めは、会えるだけで良かった。
とはいえ、人間とはどんどん強欲になる生き物だ。
人目につかない逢瀬を重ねる毎に、普通のデートがしたいと思うようになった。
2人とも病院が用意した寮に居を構えており、互いの部屋を行き来することさえできない関係を嘆くこともあった。
そうした思いがあっても、彼にそれらをぶつける事はなかった。そして、別れたいとも思わなかった。
わがままを言って、彼を困らせたくなかったし、大切な人だと心から思っており、失いたくなかった。
何より、医師としての大本を尊敬していたし、そんな彼から愛されていると実感することもできていたから。
自由に会えなくても、2人で愛を育んでいると美桜は、思っていた。
けれど、ふたりの愛は、永遠に続く明るい未来ではなく、別れに向かって走り出していた。
年の瀬が迫るある日、美桜が出勤すると、病棟は大本の話題でもちきりだった。
病院という閉塞した職場では、いい噂もそうでない噂も、あっという間に広まってしまう。
噂の内容は、外科担当の医師事務の女性が、病院の敷地内にある医師寮の大本の部屋を頻繁に出入りしており、おそらく付き合っているだろうという内容だった。
美桜の病院の医師事務の仕事は、外来補助、書類の代理作成、スケジュール管理であり、医師が診療に集中できるよう雑務を一手に請け負い、サポートしていた。
外科担当の医師事務は2人おり、相手として噂の的になっているのは、入職1年目の女性だった。
大本は、病棟で看護師たちに冷やかされても、肯定も否定もしなかった。
そんな大本の態度は、噂に真実味を与えた。
そんな中、大本から噂の否定や言い訳の言葉はなく、美桜は不安な日々を過ごしていた。
年末が差し迫り、外科はオペが立て込み、大本は連日、外来診療とオペのハードなスケジュールを送っており、美桜は彼と会えない状況だった。仕事に忙殺されている彼に、噂の真偽について聞くことは出来なかった。
年末年始は外来診療が休診となり、休日当番や緊急オペがなければ医師は休暇となるが、病棟勤務の美桜は、単身者ということもあり、普段以上に過酷な勤務となっていたため、大本と会えないまま年を越し、新しい年が、始まった。
年が明けると、噂は落ち着きを見せた。
1月も半分が終わった頃、美桜は、病棟師長から勤務後に時間が取れるかと問われた。
その日は仕事が終わり次第、大本と会う約束をしていたが、美桜は、勤務シフトの話だろうと思い、首を縦に振った。