不機嫌主任の溺愛宣言


――紹介しますね、こちら従兄の千尋くん。この料亭で調理人として働いてるんです。せっかくだから今日は忠臣さんに紹介しようと思ってて。さっき挨拶に来てくれたんだけど、忠臣さんちょうど車停めに行っちゃってたから。千尋くんも仕事中で忙しくてすぐ戻っちゃったし、今日はもう紹介するのは無理かなって思ってたけど、さっき電話で『抜け出すから待ってて』って連絡が来て。良かった、無事に忠臣さんに会わせる事が出来て。

そんな一華の話を、忠臣は呆然と聞いていた。相槌を打つことさえ出来ない呆然っぷりだった。なぜって。

「ありがとうね、千尋くん。わざわざ抜け出して来てくれて」

「そりゃあね、可愛い従妹が彼氏を連れて来るなんて言うんだもん。会わない訳にはいかないでしょ」

一華の隣に並んで爽やかに笑うその男――“千尋くん”こそが、さきほど忠臣を嫉妬の渦に陥れたナンパ男の正体だったのだから。

「初めまして、前園さん。姫崎千尋と申します。いっちゃんがいつもお世話になってます」

愛想よくニコリと微笑みながら手を差し出され、忠臣はハッと我に返る。そして我に返って、己を盛大に恥じた。

――い、従兄だっただと……?俺は……俺は凄まじい早とちりをして、なんて馬鹿な感情を抱いたんだ。そして、なんて……なんて大胆で恥ずかしい決意を!!

「初めまして、前園忠臣です」

握手を返しながら自己紹介をする忠臣はギクシャクとぎこちなかった。叫んで逃げ去りたい気持ちを無理矢理押さえ込むと、笑顔は引きつり手には汗が滲んだ。それでも初対面で楽観的な千尋は(緊張してる?案外人見知りするのかな)ぐらいにしか思わなかったが。

面倒見のいい兄貴といった風情で、千尋は忠臣に気さくに話し掛ける。

「いっちゃん、見た目のわりに気が強いでしょう?子供の頃からじゃじゃ馬でね、あはは。よかったら今度ゆっくりお話しますよ、いっちゃんのお転婆なエピソード。だからまた鎌倉にいらして下さい。今度はもっと時間取れるように空けておきますから」

そんな千尋の爽やかトークに、忠臣は引きつった笑顔でカクカクとぎこちなく頷く事しか出来ない。しかしそんな事は気にもせず、一華は仲の良い従兄との再会に純粋に顔を綻ばせていた。

「急だけど、今夜は隣に泊まっていく事になったの。旅館の朝食も千尋くん達が作るんだよね?美味しい朝ごはん楽しみにしてるから。ね、忠臣さん」

とつぜん話を振られて、忠臣は再びカクカクと頷く。けれど、彼女が楽しそうに話した内容に、どうやら急な宿泊を嫌がっている様子は無いと密かに安心もした。

「そうなんだ?じゃあ明日出発する前にまた顔見せるよ。おっといけね。俺、そろそろ戻らなくちゃ」

「うん、わざわざどうもありがとうね。じゃあまた明日」

「じゃあね、前園さん、いっちゃん。また明日。素敵な夜を」

去り際に千尋が付け加えた一言に、一華は「もう」と呟いて頬を染める。そして隣の忠臣も。

――……嫉妬の衝動で決意してしまったが……俺は大丈夫なのか……?

今さら“初宿泊”という事の重大さを認識し、プレッシャーと緊張と、えもいわれぬ期待で胸が張り裂けそうなのであった。

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