不機嫌主任の溺愛宣言
(3)
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『助けてくれてどうもありがとうございます。あの人、しつこくて本当に困ってたんです。それに……“優秀”だなんて褒めて頂いて、嬉しかったです』
――って、素直に言えたならどんなにいいだろう。
姫崎一華は喉元まで出掛かったお礼の言葉を、口を引き結んで飲み込む。
以前から困っていた加賀の仕事を盾にしたセクハラまがいの行為。さすがに今日は人気の無いところで待ち伏せされ身の危険を感じたけど、思いもよらぬ助っ人に一華の心は感謝と安堵でいっぱいだった。けれど。
もしここで素直にその気持ちを伝えたら――今までの経験からその後に起こり得る反応を考えると、感謝の言葉は口から出す訳にはいかなかった。
一華は顔を上げてまっすぐに目の前の男を見上げる。
自分より20センチは高い身長。一部の隙も無い硬さと清潔感を持ち合わせたスーツ姿に、生真面目の象徴のようなスクェアフレームの眼鏡。そして噂に違わず眉間の皺を消さない“ミスター不機嫌”な表情。
彼が真面目で融通の利かない堅物である事は、ここで働き始めて3ヶ月になる一華も知っていた。けれどそれでも
『お礼なんていいんだよ。それより困ってる事があるなら相談にのるよ。ゆっくり食事でもしながら話そうか』
なんて返事が返ってきたらと思うと、一華は恐くて素直な礼が述べられない。
それは彼女が23年の人生においてイヤと言うほど経験してきた事だった。
どんなに優しく見えても、どんなに誠実に見えても、男の一華に対する行為には下心があった。純粋な善意だと信じ素直な顔を見せた途端つけこまれる、その何度も経験した痛みが彼女に素直な感謝を口にする事をあきらめさせていた。