不機嫌主任の溺愛宣言

――な、なんだ。ちゃんと笑えるんじゃない、この人。

自分の頬の血行が良くなってしまった事を感じて、一華は慌てて窓の外を眺めるふりで顔を逸らす。

彼女から冷静さを奪ったのは忠臣の笑顔だけではない。今まで誰もが『似合わない』『変わってる』と口を揃えて非難してきた一華の趣向を、忠臣は『可愛らしい』『君らしい』と言ったのだ。それは一華に意外なほどの喜びを与えた。

「以前お会いした浦和駅の焼肉屋、あそこのニンニクカルビとかお気に入りなんです」

「ああ、あれは美味いな。ビールに合う。味噌漬けのホルモンは食べた事あるか?」

「はい。味が濃いからご飯が進みますよね。私、冷麺より断然白米派なんです」

「俺もだ。尤も、飲んだ後だともう白米はキツイ歳だけど。そうだ、赤羽にいい鉄板焼き屋がある。今度そこへ一緒に行こう。ステーキの後のガーリックライスが絶品なんだ」

「わ、嬉しい。興味あります。行ってみたいです」

昨日までの沈黙が信じられないほど、会話は流暢に進んだ。決してふたりとも無理はしていないのに。いつの間にか血色の良くなった頬を隠そうともせず、一華は忠臣の方を向き素直に口元を綻ばせていた。前を向いて運転をしていた忠臣にはその表情はハッキリとは捉えられなかったけど、けれど言葉がいつもより明るく弾んでいるのが伝わってくる。

何より、一華の口から『嬉しい』と云う単語が飛び出たのだ。彼女を喜ばせることを至上の喜びとしている忠臣にこれ以上のご褒美はあるまい。


かくして。
当初の目論見とは違ったものの、忠臣は初めて一華と会話を弾ませ、デートする約束まで漕ぎ着けた。

残念なのは、この日1日“ミスター不機嫌”の眉間からは皺が消失したと言うのに、彼が公休だったせいで一華意外誰もその上機嫌な顔を目撃できなかったと云う事だ。



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