不機嫌主任の溺愛宣言

「美味しい。すごく柔らかくてジューシー。これは元気が出ますね」

子供のように屈託無い笑みを浮かべる一華に、忠臣は心の底から彼女をここに連れて来て良かったと思った。

姫崎がこんな笑顔を俺に向けてくれる日が来るとは……。そう思うと感激で胸が詰まってしまう。この日の食事は今まで口にしたどんな高価なものより美味いと感じたが、忠臣はあまりに胸がいっぱいになってしまって、なかなか箸は進まないのであった。



「本当に美味しかったです。ご馳走様」

食事を終え店を出てから、一華は本当に満足な笑顔を浮かべて頭を下げた。その様子に、忠臣の切れ長な目尻が優しく下がる。

「こちらこそ楽しい時間を過ごせた。君といると疲れさえ吹き飛ぶみたいだ。ありがとう」

恋愛に不慣れな分、時に忠臣は無自覚に言葉を飾らない。喜びを素直に吐露する彼の言葉は不意打ちで、一華の鼓動を高鳴らせた。

「そ……そうですか。それは良かったですね」

過去に幾つもの愛の言葉を交わしてきた一華だが、不器用男のストレートな不意打ちには怯んでしまう。視線を逸らそうと腕時計に目をやり「そろそろ帰らなくちゃ」などとわざとらしい誤魔化し方をしてしまった。

「家の近くまで送ろう。呑んでしまったので車でなく申し訳ないが」

躊躇わず送っていくと言った忠臣に一華は咄嗟に『大丈夫です』と返そうとしたが、いつものやりとりからして、彼がここで引く事はないと分かっていたので素直に受け入れることにした。

帰宅ラッシュのピークを過ぎやや落ち着いてきた埼京線。くだりの列車に揺られ窓に過ぎていく住宅街の灯りを見ながら、忠臣の胸はふたつの矛盾した想いに詰まる。

一華と楽しい時間を過ごし幸せに満たされた気持ちと……相反するように餓えていく何か。不可解にも思えるふたつの気持ちだが、それは見事に融合していて、恋愛初心者の忠臣に“大人の恋”とは何かを突きつける。
 
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