不機嫌主任の溺愛宣言

忠臣は自分の失言に赤面すると、大きく溜息を吐き出し眼鏡のフレームを片手で直した。

「……本当に。君が嫌がる事をするつもりは無いんだ。信じてくれ」

それが、今の彼に言える精一杯の正直な気持ちだった。不埒―、いや、一華に対する進展を望んでいない訳ではない。彼女に対する愛しさが募れば募るほど、物理的にも彼女を欲する心は湧いて来るのだから。

けれど、それを求めたところで一華に嫌われてしまっては元も子もない。彼女の想いを汲みたい気持ちと、もっと進展したい気持ちと。そのさじ加減やタイミングを計る術など、初恋真っ只中の35歳が知るはずも無く。

住宅街の頼りない街灯の下、ふたりは気まずい沈黙に包まれた。一華は妙な緊張感に囚われたままソワソワと視線を泳がせる。

彼女にしてみれば、こんなにムードを作るのが下手な男は初めてだった。ふたりとも立派な大人なのだ。夜遅くに部屋まで送ってくれたのなら、そのまま進展のひとつやふたつあってもおかしくない。一華とて忠臣の出方に寄っては、それを拒むつもりも無かったのだが……どうしてこうなったのか。自然に部屋まで送って、おやすみのキスのひとつでもすればスマートだったのに。

「そ、そんな事、いちいち口に出さなくて結構ですから!」

もはや、一華も恥ずかしくてたまらない。忠臣の葛藤があまりにも分かりやすく伝わってきて、たまったものではない。

「送って下さるなら早く行きましょう、こんな所で立ち止まってボヤボヤしてる方がよっぽど防犯上良くないです!」

気まずい雰囲気を打ち破るように、一華は忠臣の手を掴み返すとさっさと歩き出した。イイ歳したイイ男が年下の愛らしい彼女に手を引かれ動揺した表情で歩くさまは、なかなかどうして滑稽だ。もしこれを福見屋デパ地下の面々が目撃したのなら目を疑うだろう。まさか、あの“ミスター不機嫌”が、どうしていいか分からないと云った表情で女に手を引かれ歩いてるなど。

けれど。

忠臣は引かれながら歩いている姿勢を正すと、華奢で滑らかな手に掴まれていた自分の手をほどき、今度は一華の手を包むように握りなおした。
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