不機嫌主任の溺愛宣言

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8月の中旬。澄みきった青空はまるでふたりのデートを歓迎してるような、まさに観光日和の晴天だった。

「ここから見える海が好きなんです」

日傘を差しながら成就院の階段を下る一華が、忠臣を振り返って言う。眩い日差しに煌き、海風に髪を揺らして微笑む一華は、忠臣の目には天使か女神にすら見える。今すぐプロのカメラマンを呼んでこの感動を全てフォトグラフに収めたいと思うほどに。

鎌倉駅に車を停め江ノ電で移動し、極楽寺で降りたふたりは徒歩で近隣の観光地をまわった。成就院から長谷寺や高徳院を見学したあと、昼食を経てから一華お目当ての鎌倉文学館へと向かう。

「もう少し早い時期だと薔薇が満開なんですよ」

一華がそう説明してまわった庭園は残念ながら薔薇の時期は過ぎていたけど、夏が盛りのシャクヤクやヤブランが目を楽しませてくれた。

芸術や文学を嗜む事が好きな姫崎一華は、年若い娘にしては珍しくデートコースに美術館や大型図書館などを好んだ。趣のあるもの、鮮烈なもの、人が魂を籠めて作りし物をその目で受けとめるのが好きなのだ。

そんな彼女の知性とセンスに、忠臣はまたひとつ心惹かれる。彼女の行動は予想を裏切っても期待は裏切らない。ステンドグラスの元で真剣に文豪たちの残した歴史を見つめる一華を、忠臣は『彼女を好きになって本当に良かった』としみじみと想いながら穏やかに微笑むのであった。


「そろそろ風が冷えてきた。車に戻ろう」

由比ガ浜で穏やかな波を見ながら散歩をしていると、忠臣が一華の肩に躊躇いがちに手を乗せて言った。そのまま肩を抱き寄せ、自らの身体で彼女を海風から庇ってやりたい気持ちは、やはり今でも少し躊躇してしまう。そもそも人前でどれほど彼女と触れ合っていいのかも分からない。

そんな彼の気持ちを察して、一華は「そうですね。ちょっと寒いかも」と自然な理由を告げてから僅かに忠臣に身を寄せた。

近く触れ合いそうな距離でお互いの体温を感じながら、忠臣と一華は鎌倉駅へ向かう御成り通りをゆったりと、けれど胸を高鳴らせながら歩いた。
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