不機嫌主任の溺愛宣言
「晩ご飯、行きたいお店があるんですけどいいですか?」
車に戻り、そう申し出た一華の希望する店は鎌倉の市街地にあった。車を10分ほど走らせると見えてくる広い敷地の料亭。趣のある旅館と併設されているが、観光客向けにオープンな雰囲気で、ちょうど夕飯時の客で賑わっているところだった。
店の前の駐車場に入ろうとすると満車になってしまったのか、係員に少し離れた第二駐車場へ誘導される。
「一華。君は先に降りて店で待っててくれ」
離れた駐車場からまた歩かせるのも悪いと思い、忠臣は彼女を気遣って店前で先に降ろす事にした。
そうして車を迂回させて再び車道に出ようとした時だった。店の軒下に立ち忠臣を待つ一華にふと目をやると。
「……ん?……っ!?」
思わず運転席から身を乗り出しそうになって忠臣は慌てて自分を抑える。彼をそれほどまでに驚かせたのは、見知らぬ男性と実に楽しげに喋っている一華の姿だった。
ナンパだろうかと忠臣は咄嗟に思った。あの美貌だ、ひとりになれば幾らだって声を掛けてくる男はいる。けれど、そんな想定内の考えに収まらなかったのが一華の笑顔だった。
毅然とし、軟派な人間が嫌いな彼女は当然軽々しく声を掛けてくる男なんぞ相手にしない。例えナンパなどされてもキッチリあしらうだけだ。けれど、運転席の窓から呆然と見つめる忠臣の目に映っているのは、とてもそんな光景には見えない。
20代後半くらいだろうか、やけに顔の整った見知らぬ男に声を掛けられ、それはそれは親しげに一華は何かを喋っている。
その笑顔は決して社交辞令的なものではなく、心の底から嬉しそうなのが伝わる彼女の素の表情だった。
衝撃的な光景を目に焼き付けながら、忠臣は車をノロノロと動かす。出来ればすぐに停車して一華の元に駆け寄りたいが、生憎前も後ろも車は詰まっていて停める事も降りる事も出来ない。
混んでいる駐車場から車道へ押し出され、そのまま流されるように第二駐車場まで車はゆっくりと進む。
その間も忠臣は眼に焼きついた信じられない光景に愕然としているのであった。