不機嫌主任の溺愛宣言

ようやく車を第二駐車場に停め、駆け足で戻ってくると、既に一華に話しかけていた男はいなかった。

「忠臣さん。混んでるみたいだから順番待ちのノートに名前書いておきました。もうすぐ呼ばれそうですよ」

駆けつけた忠臣を見て、一華はいつもと変わらぬ様子で話し掛ける。その顔を見たとき、忠臣の胸には今まで感じた事のない痛みが走った。

――何故そんな平然としてるんだ?さっきの男はなんだったんだ?まさか、俺に言えない相手なのか?

忠臣の胸には痛みと共にムクムクと得体の知れない不快な感情が広がっていく。

――……あんなに楽しそうに笑い合っていた男は誰なんだ?あんな……飾らない笑顔を俺以外の男に向けるなんて……

恐るべき不快な感情。忠臣が始めて経験するそれは、さっきまで空腹だった食欲を一気に減退させ、顔までも勝手にこわばらせていく。全身に広がる不快感は胃をキリキリと締め上げ吐き気さえも感じさせた。

「一華。さっきの男は――」

たまらず尋ねようとした時。

「2名様でお待ちの前園様~」

見事なタイミングで忠臣たちは店内に呼ばれた。「行きましょう」と一華に一声掛けられて、忠臣は促されるようにその後ろを着いて店内へ入って行く。会話を中断され焦れる思いで歩いていると、ふいに一華が振り向いて微笑みかけてきた。

「順番ノートの名前、『姫崎』って書こうかちょっと迷って『前園』って書いちゃいました。なんか、その方がデートっぽいかなって思って」

前園忠臣35歳。人前で泣いてしまいたいと思ったのは生まれて初めてだった。見知らぬ男に対する、どうしようもなく不安で苛立つ気持ちと。なのに、全てを問い詰めたい気持ちを許さないような彼女の大変に可愛らしい言動と。激しい気持ちがふたつ絡まりあって、忠臣は素直に『泣きたい』と思ってしまった。

けれど、大の男が人前でそんな事が出来るはずもなく。ぐっと口をへの字に曲げて堪えた忠臣に、一華が不思議そうな顔をする。

「どうしたんですか?」

「すまない。ちょっと……トイレに」

迂闊に感情が漏れないようにトイレへと駆け込んだ忠臣は、個室のドアを開けるとそのまま壁に力なくもたれ掛かった。

――どうか俺以外の男に……愛らしい笑顔を向けたりしないでくれ……

さっき見た彼女の眩い姿を閉じた瞼の裏に思い出しながら、忠臣は苦しそうに顔を手で覆う。

彼女を愛しく思えば思うほど、さっき見た光景が彼の心を痛く締め付ける。その感情が“嫉妬”と云うものだと気が付いて、忠臣は「ああ」と呻くと嘆きの溜息をひとつ吐き出した。
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