ロールキャベツ
55歳の春
娘は春で、26になります。
立派に、立派に育ってくれました。
ご存じの通り、僕は税理士をしています。
31の時に自分で税理士事務所を起業してからは、それなりに忙しい毎日を送っていました。
娘が4歳の時でしたか…妻が交通事故で亡くなりました。僕は仕事柄なかなか家に帰れないですし、通いの家政婦さんをずっと雇っていました。
家に帰るのは…深夜とかで。
休みももちろんありましたが、そういう日は大体、顧客の情報を調べ直したりとか、いつでも仕事をしていました。
私は本当に仕事人間でしたので、誰も、娘と遊んであげろ、とも言いませんでした。
言いにくいぐらい、仕事にのめり込んでいたのでしょう。
娘と遊んだ記憶なんて…ひとつもありません。
親失格だと思いますか…
娘は昔から、とてもしっかりものだったんです。というか…私がそうさせてしまったのですが。
高校生に、なったばかりの頃だったか…ずっとお世話になっていた家政婦さんが倒れて、そのままお辞めになりました。
そのとき、娘が全ての家事をすると言ったのです。
その少し前から、料理やら洗濯やら、家事の仕方を家政婦さんに教わっていたようで。
それからは娘が家のことをしてくれるようになりました。
今思うと…よく、勉強と両立できていたな、と…
娘には塾に通わせていませんでした。勉強をよくする子でしたので、通信教育だけでそれなりに偏差値のいる高校、大学に受かってくれました。
私も親として、鼻が高かった。
かなり、努力をしたんだと思います。
高校生になってからは、働いてみたいというのでバイトをさせて。
バイトから帰って家事をこなして、そのうえ勉強をして…
大きい負担をかけていたんだと思います。
娘が私に相談をしてきたことは、なかったと思います。進路を決めるときは、もっと悩むのかと思いましたが…ここを受ける、と一言で報告を済ませました。
しっかりしているな…なんて思った自分を、恥ずかしく思います。
大学進学と同時に、娘は東京へ上京していきました。今はホテルで働いています。きっと、大学で外国語学科に入っていたのが役に立っているんじゃないかな…
そんな娘とは、もう7年会っていません。
帰ってこいなんて、言えません。
娘はきっと、もう帰ってこないつもりだと思います。僕の顔なんて、見たくないと思います。
僕は放ったらかしにしていましたが、やはり娘が大事です。
だからこそ…娘の気持ちに沿わなければいけないと、思うんです。