Summer 7th Heaven
おばけ屋敷と本と老人
“星の行きつくその先が、
貴方にとって幸せでありますように・・・
何があろうと、あなたを信じて待ってるわ・・・
夜の女神のその光、いつかきっと分かち合えるまで・・・”
ここ数ヶ月、ずっと朝を快調に迎えられていたのに、再び夢にうなされてこの日は目が覚めた。
学校についても、奥歯を噛みしめながら頭痛に耐え、僕は大学の教室の扉を開いた所だ。
いつもならここで、すぐに飛び込んでくるマナトの間抜け面が、今日は珍しくないことに気が付くと、空いている席を探して教室内をぐるりと見渡した。
いつもと変わらない風景。
ザワついてるのに、聞こえるのは、昨日の夢の声と、誰かがふざけて笑う笑い声が小さくハウリングしている音だけだった。
席に着いた途端、眠気が夜の闇のように襲いかかってくる。
その時だった、勢いよく教室のドアが開くと、マナトが慌てた様子で教室を見渡していた。
僕の姿を見つけるや否や、すごい剣幕で手招きするマナトのただならぬ姿に、せっかく陣取った席を怪訝な顔のまま後にする。
一瞬それに気を取られた女子は、何やらコソコソと話し始めている様だ。
教室を出ると、不機嫌な僕に、マナトはいきなり掴みかからんばかりの勢いで鋭い瞳を向けたまま詰め寄って来る。
教室から、何だ?喧嘩か?と覗き込む者もいた。
「お前、最近ミューちゃんから連絡あるか?」
マナトのあまりの凄みに押されつつも、「いや。」と短く答え、目を背けた。
「今じゃ、学校中の噂らしいが、彼女が失踪したらしい。あれから2ヶ月だぞ!?知ってたか?」
マナトの鋭い瞳が僕を突き刺した。
僕はまた一瞬目を反らしてから、小さく「いや。」と呟いく。
いつもはうるさ過ぎてたまに会話も聞き取れないことがあるというのに、教室内は不自然なほど静まり返っていた。
理由は僕らをのやり取りを盗み聞きするため以外ないだろう。
しばらくマナトが僕を疑う様に凝視したが、力なく目を離し、一言も話さないまま教室に戻って、空いてる席にドカッと腰をおろした。
思いつめた表情のまま、上の空で何とか授業に参加している様な状態だった。
それにはわけがあったからだ・・・
ある日の昼休みの事。
『こんにちは、君、ミューちゃんの友達、だよね?』
廊下ですれ違った女性に、マナトは気さくに声をかけていた。
その一言で、その女性の顔は見る見る赤くなる。
そう、僕たちが再開した時に、ミューと昼食を共にしていた女の子の一人だった。
彼女は小さく挨拶をかわすと、携帯を片手に、ソワソワと、何か言いたげな顔を浮かべて迷っている素振りで、?マークが飛び交う中、僕たちは怪訝に目を合わせた。
次の瞬間、その子は意を決した様にマナトに向きなおる。
『ぁあの、ミユ・・・知りませんか?電話とか、メールとか、連絡、とってます?』
彼女の緊張した声に、僕らは再び怪訝な顔を見合わせた。
『どーゆこと?』
マナトのこの言葉に、彼女の顔色が今度は少し白くなったように思えた。
『何も、連絡ないですか・・・?』
マナトは僕に期待して軽く振り向いたが、僕は首を横に振った。
今度は彼女に向き直って、肩をすくめるしぐさをしている。
『そう、ですか・・・』
彼女は胃の底から無理やり出したような声を出すと、ため息を一つつく。
『ここじゃなんだから、中庭でない?話きくよ?』
マナトの言葉に、彼女は急に慌てた素振りを見せると、また少し顔を赤くし、『大丈夫です!』と僕たちの元をそそくさと去って行った。
と・・・そう言う事があったのが、今から1ヶ月以上も前だ。
今じゃ、彼女の失踪事件が学校中の噂になる程の大ごとになっていた。
「くぉの、バカが!!」
そして今、マナトの突き刺すような怒号が、僕にぶつけられている。
大学の図書館だ。
さっきの授業を何とか終え、とりあえずは今日の講義を全て終わらせてから、落ち着いて話せる場所に誘ったのは、僕だった。
「しー!」
髪の毛を後ろにきつく縛りあげた、いかにもカタブツそうな女性が慌てて、僕たちに鋭い眼光を送る。この図書館の司書だ。
その声に驚いた数人の生徒は、ビックリした様に飛び上がり、隣の机の女性は持っていたペンを床から鬱陶しそうに拾い上げては、僕たちに睨みをきかせていた。
年のとった教授は、両腕に積み上げた本を危うく落としそうになり、歪んだメガネを直しては、犯人は誰だと言わんばかりに、メガネ越しで入念に辺りを見回していた。
僕は慌てて首を引っ込めたが、マナトは周りのことなど眼中にない様子で、堅く腕を組んだまま僕の事を見据えている。僕があの日記と、手紙の事を話したからだ。
それも今やっと・・・
「何で、なんも言わねぇーんだよ・・・」
そう頭を抱えてうなだれるマナトの呆れきった顔と、憔悴しきった様子に、僕は改めて事の深刻さを認識した。
何か手掛かりがないかと、朝から情報収集に嗅ぎまわっていたと、延々と説教を食らった上、突き刺さるような形相でまたも睨みをきかされているのである。
実は、僕は知っていた。
いくら鈍感な僕でも、噂は耳に入る。
教室で、失踪した女性と僕は知り合いだという事を、いつもの女子グループが小声で話しているのが聞こえたからだ。
“実は自宅の床下に埋めてたりして・・・”
“確かに、あのイケメン使えば楽勝って感じぃ?”
全く根拠がない噂は不快なだけで、耳を貸したくなかったからだ。
ただ・・・
最後にミューと会話を交わした、あの一瞬、ミューがまるで消えてしまいそうな、思いつめた、不安そうな目で僕を見返したあの瞳だけが、脳裏に焼き付いて離れなかった。
だけど、力強い、あの大きな真っ黒の瞳。
再び振り返った時には、元気よく歩いて行く後ろ姿が見えただけだったから、僕の気のせいだと思っていたが・・・それから全く音沙汰がない。
ケータイに何度か連絡はとってみたものの、受話器が取られる気配もなく、底抜けに明るい留守電話だけが流れるだけだった。
けど、ミューの事は知っている。
誰彼かまわず着いて行く様なそんな人間でもなければ・・・ましてや人に迷惑や心配をかけるなど、もっての外な人物だからだ。
まさかこの日記が関係しているなんて考えるのは危険すぎる。
事を複雑にするどころか、マナトがもっと複雑にしてくれるだろう。
離れていたとはいえ、ミューの事は信頼もしていた、が・・・
確かに、今となっては否定も出来ない、マナトに打ち明けることにしたのだが、早くも後悔しそうだった。
現に、僕がミューからこの日記を受け取ったが最後、ミューが忽然と姿を消したのも確かだった。
僕に向って冷静なまま、マナトは片手を突き出していた。
“日記を寄越せ。”
その目は有無を言わせぬ程そう言っていた。
僕はシブシブ日記を取り出し、マナトに手渡した。
こんな時に不謹慎なのはわかっているが、自分の恥部を曝されている様で気が気じゃない。
そう思い直すほど、マナトの瞳は真剣だったのが救いだ。
一言も話さず、ただ、その日記だけを見つめて、押し黙ったまま・・・ページをめくる音だけになっていた。
一通り読み終えると、再び僕の前に片手を差し出している。
僕はまたしてもシブシブ例の手紙も不器用に手渡し、付け足しておいた。
「言っとくが、この字はミューの字じゃない」
これにはさすがにマナトも動揺を隠しきれない様だった。
「前に一度、ミューの筆跡を見たことがある。脇に置いてあったカバンから出てたノートで、もっと丸い文字だったからな」
マナトは何か言いたそうなことを必死で飲み込んでいる様だ。
またいつもの横目で僕を詮索する素振りを見せているが、それ以上何も言わなかった。
「何だよ・・・」
あまりにも真剣に見つめるマナトに、耐え切れなくなったのは僕だ。
「彼女、なんかちょっと必死だったもんな・・・様子が変っていうか・・・」
というマナトの意外な答えに、僕は少し驚いた。
「思い出したい事があるのか、忘れたい何かがあるのか?・・・お前と再会してあんなに喜んでたのに、彼女はどうしていつも話も手短に俺たちの側を去る? “もう私行かなきゃ”な用事って年に何回あるよ?それってどこ?バイト?講義?今じゃどっちも顔だしてない。どうして今更、お前に日記を?」
一瞬、重い沈黙が流れた。
やはり、そこから考えるべきなのだろうか?
マナトの次の言葉を期待したが、不意に僕から目を離した。
今考え過ぎても仕方がない、という風だ。
マナトは手紙に目を移した。
ようやく一通り読み終えたマナトは、手紙から目を離さずに眉間にシワを寄せ、今まで見た事もない様な難しい表情を浮かべている。
「この “秘密の楽園 ”って彼女の出身地だよな?」
ここでマナトは、手紙から目を離すと、静かに僕に向き直った。
僕は瞳をぐるりと回すと、イライラと答える。
「だけど、秘密の楽園だけじゃな・・・」
「だな。けど・・・多分、彼女ここに居るんじゃねーの?お前に探して欲しい・・・とか?」
「本当にそう思うか?」
僕に言い押されて、マナトは一瞬言葉に詰まったが、素早く頭を上下に動かした。
その目はまたしても真剣そのものだ。
「もしくは・・・来てくれってこととか?私を見つけて欲しい・・・みたいな?」
いぶかしむ僕の顔を見てマナトが慌ててつけ足した。
「だってそうだろ?はっきり書いてあるじゃん?待ってるって。おまえしかしらねーんだろ?これ」
「だから、これが証拠になるかもわからないって言ってるだろ?」
僕はポカンと口を開けたまま、間抜けな顔でマナトを見返した。
「だから、行くべきってこと!確かめるために。わからないことは、自分の目で見て確かめる!」
あいた口が塞がらないまま、マナトはここでようやくいつものニヤリ顔を見せた。
「決定じゃん。」
「ちょ、ちょっと待て、話が見えん」
「だから、行くんだろ?」
人を驚かせるマナトの才能は知っていたが、これが最大級といっていい。
ケロッとした顔で嬉しそうに歯をのぞかせてはいるが、僕はまたとんでもない申し出のような気がして、思わず頭を抱えた。