Summer 7th Heaven

「ソラ君、まだ~?」

30分ほど歩いた所で、マナトは激しく息を切らせながら僕を追ってくる。

「後少しだ」

「その言葉、さっきも、聞いたけど・・・」

さすがのマナトも、田舎の道には慣れていない様で、アップ・ダウンの激しい道にはすっかりうんざりした様子で、「もう歩けない」と口に出しながらも、精一杯足を前に踏み出していた。

整えられた柔らかい足場が芝生であった事が、せめてもの救いだ。

もうこの辺までくればいいかな、更に10分程歩いた所だ。

僕は足を止め、ゆっくり振り返った。

「着いた!」

「えぇ?」

マナトはキョトンとした顔を僕に向ける。

「いいから振り返ってみろ」

マナトは、後ろに広がる広大な風景に思わず口笛を鳴らす。

驚くのも無理はない。

僕たちの楽園の正体は・・・

50エーカー以上もある大きな自然公園のことなのだから。

東京ドームにすれば、約5個分の広さとなる。

「つか、秘密基地でも、何でもないじゃん?」

「俺たちにとっては、ここが楽園だったんだよ!」

ムッとする僕に、マナトはカラッとした笑顔で答えた。

「うん、知ってる!」

「なんで?」

「わかってるってことだよ!」

マナトは僕に軽く片目をつむった。

「この先に海の見える小高い丘がある。その頂上が、僕たち2人の“秘密の楽園”だ。」

マナトは顔を輝かせて、広大な風景に見とれ、今までの疲れなど忘れたかの様に、何度も、何度も、後ろを振り返りながら、僕の後をついて来る。

マナトもここが大いに気に入ったとわかると、僕も大満足だった。

やっと到着したその場所は・・・記憶の底にある場所とずいぶん違っていた。

整えられた芝生を上りきると、すぐに海が見えたのだが・・・

今はまだらに草が茂っていて、その頂上付近に上っても、生い茂った草の隙間からしか、海は見えなくなっていた。


―立ち入り禁止―


前にはなかった錆びれたフダが、僕たちの前に立ちはだかっていた。

かつては楽園の入り口だと疑わなかった地獄という出口に立たされている様な気分だった。

有刺鉄線なんて、この場所には似合わない。

僕は納得できない苛立ちを押さえきれなかった。

ここまで来てこんな結末ってあるか?

「おい、いいのか?」

僕は思い切って有刺鉄線を跨ぐと、その先に足を踏み入れた。

「いい」

そこには、懐かしいシロツメ草も咲いていない。

雑草が僕たちの膝の部分まで伸びており、更にその周りをぐるりと、僕たちの背丈ぐらいの草が生い茂っている。

どこまでが丘なのか、その先の崖がどこから落ちているのかわからない為、立ち入り禁止のフダが出ていたのだろう・・・僕は感覚で覚えていたからよかったものの、先に進もうとしたマナトを慌てて腕で制した。

その先が無くなっている事に気がつくと、慌てて2、3歩後ろに下がる。
あの頃必死になって2人で探した四つ葉のクローバーや、シロツメ草の冠は、ただの雑草に変わり果てていたなんて・・・

僕はゆっくりとバックパックを下ろすと、マナトもその隣まで来て同じように荷物を草むらに放り投げた。

重い荷物から解放されても、少しも気分は晴れない。

マナトはさっきから一言も話さない僕の顔色を伺っているようだった。ここまで来ると風も強く、薄着の僕は、ブルッと震え、カバンの中からパーカーを取り出した。

その時、服と一緒に何かがヒラヒラと足元に舞い落ちる。

日記に挟まれていた、僕が撮ったミューの写真だ。

すっかり忘れていた。

マナトがそれに気付くと、僕の隣までやって来て写真を覗きこむ。

「昔はそんなだったんだな・・・」

ここでマナトが写真の中に写るあるモノに気が付いた。

「それって・・・灯台じゃね?」

満面の笑みを浮かべるミューの後ろに、小さくそそり立つものが写りこんでいる。

懐かしくて気にもとめなかったモノだ。
マナトは視線の先を海側に移し、灯台を探した。

「あった!なぁ、あの手紙の”大きな灯台“って、あれの事だよな?!」

興奮気味のマナトは、嬉しそうだ。

どうやら、何度も手紙を読み返すうち、内容まで覚えてしまった様だった。

「多分・・・」

そんなことまで忘れ去っていたとはな・・・僕は空しい気持ちでいっぱいになった。

「あの場所は岩場になってて、足場が悪いから危険だって言われてた、あんまり近寄った事がない」

嘘はないが、これが精一杯の、自分への言い訳だ。

僕はそちらに目もくれず、ミューの写真を見つめ続けた。

もし彼女がここに来たのであれば、一体どう思っただろう?

一体どんな気持ちで・・・

僕は彼女が無事である事を心の底から願い、写真を握りしめたまま、手にギュッと力を込めた。

「・・・全てがあの時のままってわけじゃねぇ、変わってしまう事も受け入れねぇーとな・・・」

マナトが察したように小さく呟いた。

「ん?なんじゃ、あら?」

街の外れに目を向けたマナトは視線を一点に留め、あんぐり口を開き、首を前に突き出している。

僕は立ちあがってよく見えるように背伸びすると、手前の茂みの切れ目から、その視線の先の奇妙な建物に気が付いた。

この田舎の風景からして、明らかに浮きまくっている、真っ赤なペンキで塗りたてられた巨大な屋敷だった。常識を忘れてしまう建物だ。

「まさかっ・・・いわく付き物件・・・だったりして?」

尻すぼみな声に、僕はわざとハッして、ゆっくりと振り返ると、マナトを意味ありげに凝視した。

「思い出した・・・俺の記憶が正しければあそこには・・・」

僕の次の言葉を待ちながら、マナトのゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。

「な・・・何?」

僕のしばしの沈黙に、マナトの表情は一段と曇っていく。

「前はあんな奇抜な色じゃなかった気がするが・・・まるで血の色が滲み出したらしいな・・・」

勤めて冷静にマナトを追い詰めてやると、マナトは身体をキュッと縮めていた。

「行こう」

僕は手早く荷物を担ぐと、秘密の楽園を下り始めた。

「えぇっ!?行くの?ねぇ、ソラちゃん?おばけ屋敷なの?それともドラキュラの城?」

僕の言動に、マナトは想像通り怯えきっていた。

勝手に休暇届けを出して、ノコノコと付いてきたマナトへの罰だ。

「本当は魔女が住んでるんじゃないの?ねぇ~ってば~」

僕はマナトの矢継ぎ早の質問には一切答えず、黙々と足を進めた。


目の前までやってくると、おばけ屋敷と言うより、立派すぎる貴族の屋敷のような風貌だ。

真っ赤に染められた外観はそんな言葉じゃ収まらない様な、中々勇気のいるド派手なデザインが、いっそうマナトの恐怖心をかき立てている様だった。

「おいソラ、幽霊とかじゃなくってよ、もし犯罪者やマフィアとか、秘密の売人とか居たらどーするよ・・・?」

さすがに、さっきより打って変わった、マナトの緊張した声。僕はあまりにも立派すぎる洋館を、端から端までザッと見上げ、すぐさま入口を探して目を走らせる。

「こんな田舎にマフィアが住むかよ・・・何だよ、秘密の売人って・・・」

そう言ってマナトは、歩きだす僕の背中に慌ててピッタリと寄り添った。

その時、猛烈に僕の服が後ろに引っ張られるのを感じる。

「なんっっだよっっ!」

思いっきり服で締まった襟元をなおしつつ、僕はマナトに振り返った。

「・・・見たか?・・・今の・・・女の人が・・・」

マナトは震え上がった声を出し、顔を見事に真っ青に染めながら、震える手で屋敷の上の方を指差している。

その様子は完全に恐怖に支配されている様だが、そこには風に揺れるカーテンが見えるだけだった。

「気のせいだ、行くぞ」

まだ背中に張り付いたままのマナトだったが、それでも何とか足を前に踏み出していた。

玄関ホールは、見事な吹き抜けで、左右に半円を開いたような造りの本棚が、その壁に沿うように、天井近くまで伸びている。またそれに沿って細い階段も続いていた。

高い芸術センスを窺わせる。

「なんだ、図書館じゃん」

マナトの気の抜けた声がホールに響いた。

「だから言ったろ?大丈夫だって」

マナトは不服そうな、ジトッとした目で僕を見ると、その少し先まで歩き出し、今度は興味津々で辺りをゆっくり見回していた。

図書館になら人が居ても当然だ。

だけど、図書館と呼ぶにはあまりにも美しすぎる・・・

まるで、本の博物館のような所だった。

それが正直な第一印象。
決して大げさではない。

僕の記憶にある図書館とは、内装が大幅に改装された様だった。

その記憶も今や信じられたものじゃないけど・・・

玄関ホールの少し先には、大きく開け放たれた大窓から、木漏れ日が指す日だまりがあり、お洒落なティーテーブルと、白いイスが4脚、設置されていた。

まるでスポットライトが当たった、ちょうど不思議の国のアリスにも出てきそうな挿絵のような風景だ。

「おい、ソラすげーよ・・・これほとんど全部初版だ!ここに置いてあるのはお伽話がほとんどみたいだけど・・・」

気がつくと、螺旋階段の途中から僕を見下ろすマナトが、嬉しそうに本を振っていた。

いったいいつの間に・・・

「何かお探しですかな?」

僕が呆れていると、玄関ホールの先から、白いひげを立派に蓄えたおじいさんが、手を後ろに組んだまま、ゆっくりとこちらにやって来た。

「旅人さんかの?」

大きなバックパックをチラリと見てから、優しそうな、柔らかい物腰の笑顔で僕に目をとめる。僕は慌てて軽く頭を下げた。

「あ、はい」

僕は慌てておじいさんのちょうど真後ろの階段に、すでに頂上付近まで登りつめたマナトを目の端にとらえた。

恐る恐る、手に取った本を本棚にしまおうとしている所だ。

「勝手に本に手を出しちゃいかん図書館などありゃせん!好きなだけ見て行かれるとよろしい!」

おじいさんの言葉に、マナトは持っていた本を危うく落としかけている。
怒鳴られるのではないかとヒヤヒヤしていたマナトも、この言葉に恐縮気味に振り返った。

どうしてわかったんだろう・・・?

「おじゃましてまぁーす・・・」

マナトはバツが悪そうに、小さく挨拶をした。

「あの、この図書館の閉館は何時ですか?」

「君たちは何時までここを使いたいのかね?」

当たり前の質問をしたつもりだったが、逆に質問で返された時の答えは持ち合わせておらず、しばらく僕が考えこんでいると、おじいさんの笑い声がホールに響き渡った。

「なに、今日はわしの客人も来んのでな」

螺旋階段の途中で、手すりにもたれて聞いていたマナトは、嬉しそうに顔を輝かせていた。

おじいさんの目の端のちょうど後ろに映ったマナトが、猛スピードで階段を駆け降りるのが見える。

「たまに寂しい老人のお相手をしてくれるなら、今日の閉館時間は君達で相談しなさい」

「代わりにこの屋敷の掃除でもしろってこと?」

マナトは息を切らせながらも、抜かりがない言葉ですぐさま返す。

ちょうど最後の段を下りきる所だ。

僕は慌てて失礼だぞ、と戒めると、おじいさんは僕に向き直った。

「若い人、わしが、お願いしておるのじゃ」

おじいさんは、そう言ってほほ笑んでいるが、目が笑っていないのは僕の気のせいか?

すっかりいい聞かされた子供のような気分になったのは僕の方だった。

「そうじゃな、ここにある本棚の本を今夜中に全て4階に運び出して欲しい・・・なんて、そんなことは頼まんよ、ただ少し、私の遊び相手になってくたらそれでええ」

おじいさんのジョークは少々きつ過ぎた様で、驚く僕たちの顔を交互に見つめては、また一人、可笑しそうに笑っていた。

「じっちゃん、一人?」

僕の隣までやってきたマナトは、立派な玄関ホールを見上げていた。

その言葉に、また老人の高らかな笑い声がロビーに響いている。

「まさかの」

おじいさんはまん丸の目を更に見開いて、マナトを見つめた。
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