冬夏恋語り
「西垣さん、気分でも悪いの?」
「気分は最悪ですけど、大丈夫です」
飲みすぎかな、帰ろうかと店長に促され、キャットベッドを抱えたままフラフラと立ち上がった。
「ここはいいよ」 と林店長が気前よく支払い、俺と井上さんはそろって頭を下げた。
カウンター内のふたりにも軽く頭を下げ、くるりと向きをかえた俺の背中に、おかみさんから声がかかった。
「西垣さん、恋ちゃんのこと、勘違いしてるみたいだけど……」
言葉尻を濁した言葉に足が止まり、一歩踏み出した足を戻しカウンターを振り向いた。
「勘違いってなんですか?
恋ちゃんがお姉さんの元旦那と付き合ったって、いいじゃないですか」
「だから、そうじゃなくて。恋ちゃんはね」
「俺には関係ないです。彼女が不倫しようが、二股かけようが、どうでもいいことです」
次の瞬間、店の扉がガラッと開いた。
「いい加減なこと言わないでください。私、不倫とか二股なんてしてません!」
いきなりあらわれた恋ちゃんに驚き、一瞬たじろいだが、反論の声に怒りがふつふつわいてきた。
「じゃぁ、昨日のあれはなんだよ。愛華さん、知らないんだろう?
亡くなった彼も知らなかったんだな」
「えっ、どういうこと?」
「彼にも愛華さんにも隠れて、こそこそ付き合って。
そんな人だと思わなかった、残念だよ」
「隠れてなんかいません。
愛ちゃんに言えないから、だからお義兄さんに相談したのよ。それが悪い?」
俺から責められても、しょげるどころか強硬に言い返してくる。
「ふぅん、開き直るんだ。お義兄さんっていうけどさ、もう他人だろう?
お姉さんに言えないこと、なんで他人に相談なんかするんだよ。
甘えた声で泣きついてさ」
「西垣さんだって、教え子とベタベタして」
「ベタベタって、そんなことしてない」
「してました! 私、見ました」
売り言葉に買い言葉、俺も恋ちゃんも勢い出てしまった言葉を抑えられずケンカ腰だった。
そのとき、客が一組やってきたが店内の雰囲気を察し、「またくるよ」 と帰っていった。
大声を張り上げて営業妨害だよなと思うが、はじまってしまった喧嘩は止められない。
「見たって、いつだよ」
「先週です。店の前で、ふたりでいちゃついて、腕なんか組んで。
彼女、アイカって呼んでって甘えてたじゃないですか」
「アイカって……北条愛華か。確かに一緒だった、けど」
「あの子、まだ未成年ですよ。こんなところに連れてきていいと思ってるの?」
こんなところで、ごめんなさいね……と、おかみさんの小さな声がした。
「あっ、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」
急にトーンダウンした恋ちゃんは、それから急に黙り込み、「すみません」 と謝ると店を出て行こうとした。
その手をつかんだのは林店長だった。
「ふたりとも、少し落ち着こうか。座って。おかみさん、まだいいかな」
「どうぞ、どうぞ。今夜は貸切にしちゃいましょう。その方がじっくり話せるでしょう。
といっても、さっきから貸切も同じだったけどね」
心得たように、板さんがあらためて箸を並べ、恋ちゃんの席も整えた。
「もう一度、かんぱーい! といきたいが、そんな気分じゃないね。
じゃぁ、お疲れ様ってことで」
店長の掛け声で控えめにグラスを合わせて、ビールを喉に流し込む。
のど越しの美味しさはなく、苦みばかりが際立った。
俺も恋ちゃんも押し黙り、板さんの包丁の音だけが響く微妙な空気の中、林店長の声はのんびりしていた。
「ふたりとも、さっきみたいに言えるんだ」
「えっ?」
「西垣さんも麻生さんも、ふだんは落ち着いた感じだから、あんなふうに言いあうのって、なんか新鮮だった。
麻生さんの機嫌の悪そうな顔、初めて見た」
「すみません、大きな声をだして……お客さん、帰っちゃいましたね」
そう言うと、恋ちゃんは気まずそうにうつむき、俺も頭を垂れた。
「いや、いいんだけどさ。って僕の店じゃなけどね」
「いいの、いいの。私もぜんぜん気にしてないから。
恋ちゃんが大きな声をだすなんて、ホント珍しいね。
喉が渇いたでしょう、どうぞ」
おかみさんに言われて、恋ちゃんは素直にコップを差し出した。
俺にもくださいと、横からコップを出した。