冬夏恋語り
「私とお義兄さんが、不倫とかするわけないじゃないですか」
「あの状況で、どう理解しろっていうんだよ。あんな話を聞かされたら、そう思うだろう」
「勝手な思い込みは迷惑です」
「迷惑ってなんだよ。もぉ、付き合いきれないな」
「付き合ってって頼んだつもり、ありませんけど」
「あぁ、わかったよ。勝手にしろ!」
大きな声で言い返した。
とそのとき、行きかう酔っ払いのふたり連れから 「別れ話か? いいぞぉ、別れろぉ」 とからかわれ俺たちは言葉を止めた。
が、野次る声はさらに大きくなり、千鳥足の男のひとりが恋ちゃんへ近づくと 「そんな男はほっといて、こっちにおいで」 と手を伸ばしてきた。
男の手が届く前に恋ちゃんの腕を引き寄せ大股でその場を立ち去り、急ぎ足の彼女をさらに急かして、小走りで繁華街を抜けた。
通りに出て走りをやめたが、飲んで走ったせいか、酔いが回りめまいに襲われた。
「あそこに座って。休んだ方がいいかも」
目で促された先にバス停のベンチが見えて、恋ちゃんの腕に支えられてよろよろ足を進めた。
最終便が行ったバス停には誰もおらず、ベンチの真ん中に座り込んだ。
息を整えていると背後でガシャンという音がして、ほどなくペットボトルを手に戻ってきた恋ちゃんが隣に座った。
「どうぞ」 と一本を俺の前に差し出す。
財布を取り出そうとしたが 「いりません」 と怒ったように言われ、しぶしぶペットボトルを受け取った。
「愛ちゃんが結婚した時、私まだ小学生だったんですよ」
「小学生?」
8歳違いの姉妹だから……頭で指を折って歳を数えた。
「お義兄さんは24か25歳、私とどうにかなるなんて、無理があると思いません?」
「あはは……だよね、ははっ」
言われてみればその通りで、よほどませた女の子でなければ姉さんの旦那との恋愛などないだろう。
わかってみればなんてことない。
だよな、そうだよ、そんなのありえない。
と思いながらも、やっぱり疑いは残る。
「けど、姉さんが離婚してからあの人と付き合い始めたとか、ありえるでしょう」
「ありえません。お義兄さん、ぜんぜん好みじゃないので」
「そうなんだ。そうか、ふぅん、あはは……そうか、そうか」
酒が入っているせいか、変なところにスイッチが入り笑いが止まらなくなった。
ひとしきり笑い転げ、そんな俺を恋ちゃんは呆れたように見た。
俺の笑いが落ち着くと、「続き、話してもいいですか」 と聞かれ、「どうぞ」 と恭しく手で示した。
「彼の伯母さんの息子と結婚しないかと勧められて、返事に困って、お義兄さんに相談したんです」
「そんなの、断ればいいじゃないか。義理はないだろう」
「彼の法事とか、ほかにもいろいろこれからも続くけど、従兄弟なら事情がわかってるから出席させてくれるだろうって。
そのほうが、彼のお母さんも気を遣わなくていいからと言われて」
「はぁ? それって、あっちの都合だろう。恋ちゃん、いつまで法事に付き合うつもり」
「さぁ、いつまででしょう……」
ペットボトルを開けて、女性らしからぬ飲みっぷりでゴクゴクと喉に流し込む。
ひと息ついて 「はぁ、炭酸って効きますね」 と言いながら口元をぬぐった。
俺も彼女に負けじと一気に飲み干した。
「法事ってさ、七回忌、十三回忌、その先も、ずっと続くよ。
生きてるあいだ、顔を出すつもり?」
「それだけじゃないんです。誕生日ごとに顔を出さなきゃならないし……」
「誕生日って、死んだ奴の誕生日を祝うの? もうこの世にいないのに?
信じられないな。いい加減やめろよ」
怒鳴ったあとで後悔に襲われた。
死んだ奴の誕生日を祝ってもおかしくはない、大事な人なら思い出して当然だ。
この世にいないのになんて、亡くなった人を冒とくした言葉だった、言い過ぎたと反省した。
「ごめん……」
「違うの。誕生日は、彼が助けた男の子のお祝い」
「助けた男の子?」
「彼ね、おぼれた子どもを助けるために川に飛び込んだの。
泳ぎに自信があったから、思わず飛び込んだんだと思う……」
男の子は助かり彼は亡くなった。
その子の誕生日や成長の祝いの席に、彼の両親とともに恋ちゃんも招かれるそうだ。
「彼のお母さんは、その子の成長を楽しみにしてる。
息子の代わりみたいに思ってるの。
男の子の親もそれがわかってるから、ずっと招いてくださるの」
行きません、欠席しますとは言えないという恋ちゃんの気持ちがわからなくもないが、それではいつまでたってもしがらみから抜け出せないのではないか。
と、そんな風に思ってしまうのは、俺が当事者ではないからだ。
さすがに 「そんなの断れよ」 とは言えなかった。
男の子の成長する姿を見るたびに、その年数分を彼に重ねたりしないのだろうか。
3年たったいま、もし彼が生きていたらと、思いをはせることもあるはずだ。
亡くなった時の姿に歳を重ねることは難しいけれど………
そこまで考えて大変なことに気がついた。
「彼、恋ちゃんの目の前で飛び込んだの?」
「……暖かい日で、水はそんなに冷たくなかったけど、彼……」
冷たくなってた、とそのときの様子を伝えると顔を覆った。
悲しみを思いだし体を震わせる彼女へかける言葉がない。
どうしてやることもできない俺は役立たずだ。
それでも何かしてやりたくて、手にしていたキャットベッドを彼女の膝に置いた。
「抱き枕にして」
「うん……」
それだけ言うと、彼女はふかふかのキャットベッドを膝できつく抱きしめた。