冬夏恋語り
ガラス戸は開けられ、網戸を通して庭から涼しい風が運ばれてくる。
なんでもないときなら夜風を楽しむ余裕もあるが、今夜は風を感じながら緊張で背中と手に
冷や汗をかいていた。
父は憮然とした様子で、並んで座った私たちは膝に視線を落としている。
冷茶を運んできた母が 「どうぞ」 とみなに勧め、それぞれが黙ったまま冷えたガラスの
茶碗を手に冷茶を口にした。
「お話を聞きましょうか」 と言ったのは母で、父ははすに構えて私たちを睨み見つけて
いる。
一呼吸あり、夕方会いましたが、ほとんど話せないまま会社から呼び出しの電話がありました……と、東川さんは話をはじめた。
「会社に送ってもらいました。深雪さん、昨夜ほとんど寝ていないと聞いたので、
それでは運転は危ないだろうと思って、会社の駐車場で少し寝るように勧めました」
「どうして深雪が送らなきゃならん。君は仕事だろう」
「おっしゃるとおりです」
すみません、と東川さんは弁解もせず謝ったが、いたたまれず私も口を挟んだ。
「私が送りましょうって言ったの。東川さん、バス通勤だって聞いていたでしょう。
それに、会社のトラブルで急がなくてはならないみたいだったから」
「そういえば、そんなことを言っていたな」
渋滞緩和に一役買うために、会社ぐるみで協力して、できるだけ公共交通機関の通勤を推奨
しているのだと、東川さんが仕事の合間の雑談で話していた。
それを思い出したのか、立派な取り組みだと思う、と父らしい感想が添えられた。
「少し仮眠してくださいと頼んで、僕は仕事に行きました。
トラブルはすぐに解消しました。帰る前に、もしかしたらと思って駐車場をのぞいたら
深雪さんの車があったので、声をかけました。が、熟睡しているようで、でも、もうじき起きるだろうと思ったので、社長に電話しました。
そのときは、本当にすぐに起きるだろうと思ったんです」
ところが私に起きる気配はなく、そのままにしておけず、東川さんは見張りのつもりで車に
乗り込んだが、不覚にも寝てしまったのだと、申し訳なさそうに頭を下げた。
やましいことは何もありません、ですからこうして説明方々お詫びに伺いましたと、真剣な
声が訴えた。
「そうでしたか。東川さんが確認してくださらなければ、
深雪はそのまま駐車場に取り残されていたんですね」
「守衛が定期的に巡回しますので、朝までと言うことはないと思いますが、
女性が一人で過ごすのは、危ないことがないとは言えないので」
黙って聞いていた父が、うーん……と重苦しい声をもらし、そして、
「うん、わかった。以後、気をつけるように。東川君、深雪がおわせになりました」
頭を下げたのだった。
「ありがとうございます」
なぜここで、ありがとうございます、なのか私にはわからなかったが、男同士の会話は完了
したらしい。
あまりもあっけなく騒動は収まった。
『小野寺社長は、話せばわかる方です』
彼が言ったことは本当だった。
そよ風が涼しげな音色を鳴らした。
「風鈴ですね」
「深雪が旅行で買ってきたんだ。どこかのガラス職人の作らしい」
「そうですか。いい音色ですね」
穏やかな会話になった二人を見ていた母が、私へ視線を移してにっこりと微笑んだ。
その笑みは 「お父さん、話せばわかる人なのよ」 と自慢しているようでもあった。