冬夏恋語り

6, 春よコイ 




『冬来たりなば 春遠からじ』


英国の詩人、シェリーの詩「西風の賦」の一節であると教えてくれた、国語教師を思い出した。

長い冬を耐えるために、楽しい春を思い浮かべる、辛いときもあるが必ず幸せなときがやって来るのだ。

僕もそうだったと、まだ人生の苦労など味わったことのない高校生に話して聞かせた顔は真剣だった。

先生にはどんな苦しいことがあったのですか、春は来ましたかと、クラスでも元気のいい男子生徒が聞くと、先生は照れながらこう言った。



「ずっと好きな女性がいて、振られ続けても告白した。

そのあいだは、冬の寒さを耐えるように辛かった。

やっと彼女を振り向かせて、思い切ってプロポーズしたらOKをもらった。

僕にも春が来た瞬間だった。

彼女の父親にも結婚を認めてもらったので、結婚することになりました」



説教じみた話がはじまるのかと、つまらなそうな顔をしていた生徒たちの顔が、急に色めきだった。

男子は拍手ではやし立て、女子は目を輝かせながら身を乗り出し、中には泣き出しそうな生徒もいた。

あの頃まだ30歳前だった先生の結婚話は、色気づいた高校生にとっておおいに興味のある話題だった。

若い先生は恋愛対象になるのだろう、女子生徒にも人気があったからなおさらだ。

俺たちのクラスで話したことはすぐに学校中に広まり、先生は生徒とすれ違うたびに 「おめでとうございます」 と声をかけられ人気者になった。

勉強に関係のないプライベートな話で授業時間をつぶしただけでなく、多感な生徒の気持ちを乱したとして、校長だか教頭に呼び出されて注意されたとも聞いた。

学部長の小言を聞きながら、もう20年近く前の出来事を懐かしく思い出した。



「招いた講師が、君の恋人だろうが婚約者だろうが、そんなことは問題ではありません。

学生たちに良い影響を与えるならまだしも、恋愛沙汰を見せてどうするんですか。

女性のひとりは、ウチの学生というではありませんか。

学生と不適切な関係など、あってはならない、もってのほかです。

君に限って、そんなことはないと信じています。

が、しかし、誤解を招く言動があったことは事実のようですね。

噂は無責任にはびこるものです、君のためにもならない。

以後、慎むように。

西垣先生、私の言いたいことはわかりますね」


「申し訳ありませんでした」



俺をめぐっての北条愛華と恋雪の口論は、どこからか学部長の耳に入り、俺は呼び出され注意をくらった。

高校の国語教師は、生徒に恋愛話と結婚の報告をしたことで上司に注意を受けたが、生徒には有意義な話であったと今でも思っている。

それに引きかえ俺の方は、別れ話など恋愛のゴタゴタを学生に聞かせてしまったのだ、お叱りを受けて当然だろう。

講義室で話すことではなかった、それについては反省している。

それにしても、昨日の今日とはいえ、学部長の耳にいち早く入ったものだ。

俺が提案した出張講座の盛況を快く思わない者が、学部長にご注進に及んだのか。

妬みややっかみは、どこにでもある。

以前の職場でもそうだった、いちいち気にしては身が持たない。

一方、学生の反応は心配したようなことはなく、むしろ好意的だった。

「先生、モテるんですね」 といった声や 「先生、修羅場の対応に慣れてるんですか、すごいな」 と男子学生からのうらやむ声には苦笑いしたが、「恋雪先生のような暮らしに憧れます」 「麻生先生、カッコイイです」 と女子学生の声もあった。 

恋雪を褒められて悪い気はしない。

学生たちは、案外冷静に俺たちを見ていたようだ。


北条愛華は、あれから俺の前に姿を見せていない。

あの日の翌日、『麻生漆器店』 を訪ねたが、恋雪の弟、翔太君にも会えなかった。

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