冬夏恋語り
それから数日たった日、『麻生漆器店』 へ北条愛華がやってきたと恋雪から聞いた。
先日は失礼なことを言ってすみませんでしたと、神妙な面持ちで恋雪に謝ったそうだ。
思ってもみなかった展開に驚きながら、俺の目はテーブルの上の皿に注がれている。
柔らかく煮たイワシから、ほんのり梅の香がたち食欲をそそる。
恋雪は飯茶碗を乗せた盆を持って立ったまま、今日の出来事を話しはじめた。
「彼女に謝られて、こっちも大人げなかったなと思ってたから、仲直りしたの」
「仲直りって、彼女と恋雪って、仲良かったっけ?」
「そういうことじゃなくて、仲良くなったの」
あれほど言い合ったのに、一方が謝罪したことで仲良くなれるものなのか。
女性心理は俺には謎だ。
北条愛華が急に素直になったことも、腑に落ちないが。
そんなことより、イワシを美味しく食べるために白米が欲しいと思うのだが、恋雪は飯椀が乗った盆を持ったままだ。
煮魚の香りに生唾を飲みこんだ。
「彼女、私に謝りに来ただけじゃなかったの」
「うん?」
「翔太君、いますかって言うから、部活で遅くなると話したら、あとでまた来ますって。
一旦帰って、また来たのよ」
「ふぅん、翔太君に礼でもいうつもりだったのかな」
「そうみたい。店の外で、ふたりで顔を寄せて、ぼそぼそしゃべってたけど。
翔太、年上にモテるから」
「そうなの?」
「歳の離れた姉がいるせいかな、翔太って年上キラーなのよ。小さい頃から」
高校生で、まだ少年の面影が残る翔太君が年上キラー?
恋雪の例えがおかしくて、ミューを膝に乗せながら大笑いした。
「本当よ。いっつも上級生の女の子から告白されて、そのたびに私や愛ちゃんに報告するの。
でも、今回は報告がなかったな。
北条さん、なんの話だったの? って聞いても、べつに、って言うだけで、教えてくれないの。
愛ちゃん、寂しそうだった」
「恋雪は?」
「えっ」
「恋雪も寂しかった?」
「そうね」
北条愛華に弟を取られた気がしたそうだ。
「いつも、女の子の方が翔太を好きになるの。
でも、今度は翔太の方が彼女に気があるみたい。
あのときも、私じゃなくて彼女をかばったしね。
姉としては寂しい限りだわ」
いってみれば私が取り持った仲なのに、と恋雪は笑っていたが、その顔は言葉通り寂しそうだった。
ミューを膝からおろし、立ったままの恋雪の手を引いて座らせ肩を抱いた。
「俺は、恋雪に助けられたけどね」
「助けになった?」
「なったよ、頼もしかった」
俺を見上げた恋雪の顔を両手で挟んだ。
このまま抱いてしまいたい衝動に駆られる。
「あのときの翔太君の行動には正直驚いたけど、彼が北条さんの肩を持ったのは、結果的に良かったと思ってる」
「そうかもね……ご飯、冷めちゃう。食べましょうか」
恋雪を欲しいと思った気持ちは、食事という行為を前にしてあっさり退いた。
いい雰囲気も、煮魚の香りにはかなわないらしい。
いただきます、と大きな声を出して、勇んで箸を取った。