冬夏恋語り
「……それにしても、麻生の親父さんが、よく許したね。
愛ちゃんは、麻生の家から出ないものと思っていた。
親父さんも、ここは愛ちゃんに譲るつもりだと言っていたからね」
「ご両親の元へ何度も通って、熱心にお願いしましたから」
「親父さんたちがいるのは地方だよ。そこに通ったって?」
「はい、ほぼ毎週通いましたね」
愛華さんの顔色が変わった。
ふたりのために、矢部さんが地方にいる愛華さんの両親に会いに行ってくれたことを喜ぶ顔ではない。
「毎週って、いつですか? 私、初めて聞きました。
両親から、そんな話を聞いたこともありません」
「去年の暮れごろかな。愛華さんとお付き合いをはじめてすぐの頃ですよ。
僕は、もうこの人しかいないと決めていたので、すぐ手を打ちました」
「へぇ、そりゃまた積極的だね。そんなに愛ちゃんがよかったのかい?」
「それは、もぉ」
「はは、なんだよ、ぬけぬけとのろけて。矢部さんもよく言うよ、聞いてられないや」
ヨネさんにからかわれながらも褒められた格好で、それに気をよくしたのか、矢部さんは得意になって語り始めた。
「昔から、将を射んと欲すれば、まず馬を射よ、と言います。
女性を落とすには、親を攻めるのが良策です。
ご両親の許しをいただいたら、あとは愛華さんを必死に口説くだけですから」
「私の両親は馬ですか……」
哀しい顔で視線を落とした愛華さんへ、矢部さんはカラッとした調子で返した。
「まさか、もののたとえですよ。そのまま受け取らないでください。
とにかく、ご両親のお許しをもらえたので、僕としては天にも昇る喜びでした。
そのあとです、転勤の話がでたのは。
当初の予定では、店の近くに住んで、愛華さんはそこから通いながら仕事を続けてもらう予定でしたが、僕が転勤になってしまったので、計画が大幅に変更になりまして。
ご両親も、転勤と聞いて難色を示されましたが、結婚の許し与えたあとですから、もう嫌とは言えません。
僕の勝ちです。愛華さんを転勤先に連れて行くことを認めてくださって」
「矢部さん、それじゃだまし討ちじゃないか!」
「はぁ? 西垣さん、聞き捨てならないことを言いますね。
僕はね、手順を踏んで正式に申し込んで……」
「私より先に、両親に話したんですか」
「愛華さん、お付き合いを承知してくれたでしょう。
僕たちの年齢のお付き合いといえば、その先に結婚が控えている。
先を見越して行動をしただけです。
いずれやらなければならないことですから」
矢部さんは、手順を踏むどころか、両親の許しを得るために先走ったということだ。
「愛華さんの気持ちは置き去りですか。
だまして転勤先に連れて行こうなんて、卑怯だ」
「卑怯だと? 交際して、ご両親の許しを得て、僕たちは婚約した。
互いの気持ちが寄り添った結果だよ。
それから、転勤は不可抗力だよ、転勤先に彼女を連れて行くのは当然だ」
「なにが当然だ! 義理の息子を邪険にして、自分の息子の面倒を見させようって魂胆だろう」
「言っていいことと、悪いことがある。
僕がいつ、龍太君を邪険にした。いい加減なことを言わないでくれ」
俺と矢部さんの間に立った愛華さんは、子どもを抱いたままオロオロして言葉をはさめずにいる。
矢部さんは結婚が決まったことを盾に主張を振りかざし、俺は胸にたまったモヤモヤを吐き出すように立ち向かう。
そんな俺たちを、ミヤさんとヨネさんは面白そうに眺め、ハルさんはニヤニヤしながら見守っていた。
「西垣先生、あなたには関係ない。これは、僕と愛華さんの問題だ。
高校生と小学生、どちらを庇護しなければならないか、考えればわかるだろう。
多感な時期の子供には母親が必要なんだ」
「それがアンタの本音だな。龍太は僕が引き取る。
アンタなんかに大事な息子を渡せるか!」
大声で叫びながら飛び出てきたのは、愛華さんの別れた夫、久光さんだった。