冬夏恋語り
春の訪れを知らせる桜は、今まさに見ごろだった。
朝食後コタツにもぐりこみ、窓から桜を眺めるのがこの頃の楽しみだ。
恋雪の部屋から見えるのは公園に植えられた木々で、ここからの眺めはいわば借景だ。
初夏はケヤキの新緑が、秋にはそれが紅葉して目を楽しませてくれる。
街中にあって自然が感じられる部屋で恋雪と一緒に過ごす時は、何物にも代えがたい。
こっちに越してこようかなと、恋雪に言ったことがある。
彼女の返事は意外で……
「このままじゃだめ?
武士さんとミューだけならいいけど、本までは無理だと思う」
このように、やんわり断られた。
確かに、あの膨大な本を持ち込むのは無理がありそうだ。
けれど、「いいよ」 と言う返事を期待していた俺には少しショックだった。
ひとり暮らしにしては広い部屋は、亡くなった婚約者と住むはずだったのか。
大きすぎるコタツも、キッチンのテーブルも、一人用ではない。
彼との思い出が詰まった部屋だから、俺が越してくることに反対なのか?
恋雪にそんな素振りは見えないけれど、俺はいなくなった男といつまで競えばいいのだろうかと、ときどき思ったりもする。
食後お茶を飲み終えるのを見計らったように、ミューとタァーが膝に乗ってきた。
二匹のマンチカンが仲良く膝の上で丸まるのは、いつものことだ。
「あっ、ダメ! タァーもミューも降りなさい」
「いいよ、このままで」
「だめよ、スーツに毛がついちゃう。
武士さんもスーツを着たままコタツに入らないで、しわになるから」
「これくらい大丈夫だって」
「入学式なのに、しわになったり猫の毛をくっつけて出席したら、恥をかくのは武士さんよ」
「俺なんて、誰も見てないよ」
「そういうことじゃなくて。とにかく、立って」
ほかのことにはそれほどうるさくないが、礼儀やしきたりにはなかなか厳しい。
入学式のために着込んだスーツは大事な式のためのもので、きちんと身なりを整えなければならないらしい。
仕方なく立ち上がると、恋雪の手で丁寧にブラシをかけられた。
「コタツ、そろそろ片付けようかな」
「えーっ、まだいいよ」
「部屋を春らしくしたいの」
コタツは大きくて存在感があるから、部屋が狭く感じるのだと恋雪は片付ける理由を並べてから、こんなことを言いだした。
「やっぱり小さいコタツを買うべきだったな。
もったいないからもらったけど、大きすぎたかも」
「これ、もらったの?」
「そう、実家が新しいコタツを買ったから、おさがり。
キッチンテーブルも、カウンターも、全部実家から持ってきたの。
家具が入る部屋を探したら、こんなに広い部屋になっちゃって、ホント、家賃も割高よね」
なんだ、そうだったのか。
てっきり、婚約者と住むつもりでそろえた家具や、それに見合う部屋を選んで住んでいるとばかり思っていた。
天国に行ってしまった男と勝手に競っていたが、なんて馬鹿げたことをしていたのか。
気持ちが軽くなり、フンフンと鼻歌まででてきた。
「はい、できた。たまにはスーツ姿も見せてね」
「そう言われても、めったに着る機会もないからね。
地方にいた頃は、一年に一度も着なかったな」
「地方の農村にいたんでしょう? どんなところ?」
「のどかでいいところだよ。なんにもないけどね」
「行ってみたいな」
「行っても、面白くもなんともないよ。
田んぼと山が広がって、家も少なくて、自然は豊かだけど、店もないし……」
「おもしろいか、おもしろくないか、行ってみなきゃわからないでしょう?
それに、武士さんが興味を持って住んだところだもの、きっと面白い何かがあると思うの。
だから行ってみたいの」
恋雪の言葉にハッとした。
街中に住む人にとって、遠隔地で買い物もままならない土地は、不便であり面白みがないだろうと思い込んでいた。
深雪にも言われたことがあった 「行ってもいいか」 と。
そのとき俺は、来なくていい、おもしろくないところだからと返した。
深雪の気持ちも考えずに、ひどいことを言ったものだ。
それに気づかせてくれたのは恋雪だ。
彼女はもう一歩踏み込んで、行ってみなければわからないと俺に訴えてきた。
そして、俺と同じ経験をしたいと言ってくれた。
嬉しい言葉だった。
「ダメかな」
「今度の休みに、一緒に行こう。
知り合いがいっぱいいるんだ、みんなに紹介するよ」
「ホント? 嬉しい。
みなさんにお土産を用意しなきゃ、何がいいかな」
手ぬぐいでもいいかな? と思案顔になった恋雪を抱きしめた。
どうしたの? と聞かれたが、嬉しさと感動で不覚にも滲んだ涙を見られたくなくて、思いっきり抱きしめて顔を隠した。
「スーツ、しわになるのに……」
「……少しだけ」
「うん」
恋雪と、これから繰り返す季節を一緒に過ごしたい。
彼女のそばにいて、感じたこと、感動したことを語り合いたい。
この思いをどうやって伝えようか。
恋雪の肩に頭を預け、風に舞う桜を見ながら考えた。