冬夏恋語り
冬のリングとマンチカン
1, 猫のいる風景
晩秋の朝日は淡い光を届けてくれるが、部屋を暖めるには心もとない。
冷えた部屋で着替える勇気をもらおうと、隣りで眠る柔肌を引き寄せた。
脇から手を差し入れ胸の曲線をたどる。
温かな乳房を手中に収めしばらくすると、指先のぬくもりが体中に広がっていく。
丸みを帯びた肌は、極上の心地良さを与えてくれるのだった。
地方の仕事から戻ると、真っ先に彼女を呼び出した。
「おかえりなさい」 の優しい笑顔と柔らかい肌に癒されたものだ。
街で用事を終えると、また彼女を呼び出しふれあい、肌の記憶を携えて地方へ戻った。
専門とする民俗学を説明するのは難しいが、ひと言でいうなら 「昔のことを調べる学問」 ということになるだろうか。
研究対象である地方に住み込み、地元で直に習わしに触れ、それらを文献に残す。
そんな地味な作業を数年続けていた。
学者の卵であると言えば格好もつくが、臨時講師の立場では学者と言葉にするのははばかられる。
少しずつ、少しずつ、段差の小さな階段をのぼり経験と実績を重ねていった。
文句ひとつ言わず帰りを待ってくれる彼女と結婚しようと決めたのは、不安定な臨時職から安定した大学講師に採用が決まったことにある。
今までのように長期間地方へ出かけることも少なくなるため、街に住居を構え、彼女との暮らしを整えたい。
そんな思いから、いままでの遅れを取り戻すように一気にことを勧めた。
やり方を間違えたと気がついたのは、彼女から結婚をやめたいと言われ婚約を解消したあとだ。
講師になったら結婚しよう、もう一段階上がったら家を構えよう。
そばには彼女がいて、いつも支えてくれる、そんな生活を思い描いていたのは自分だけだった。
気難しい彼女の父親への結婚の挨拶も難なくこなした。
彼女の両親と同居がいいだろうと察し、気前よく承諾してみせた。
結婚を待たせた分、一時でも早く式を挙げた方がいいだろうと思い、俺についてこいとばかりに速攻で式の日取りも決めた。
そこに、彼女の意見や言い分や、希望や期待が入り込むすきもなかったことに、気がつきもしなかった。
結婚に消極的な姿勢を見せはじめた彼女から 「夏でも冬でも、風鈴の音が好きなの」 と言われ、何を言っているのだと軽く流した。
私のことをわかって……
彼女は、そう叫んでいたというのに。
話し合いの末、婚約解消となった。
あれから一年がたつ。
彼女はすでに新しい人生を踏み出している。
『おはようございます。
今日は全国的にお天気に恵まれ、昼は10月初旬の温かさになりますが、夕方から気温が下がってくるでしょう。
上着を重ねてお出かけください』
朝のニュースに登場する気象予報士に、今日の服装のアドバイスを受ける。
ジャケットはどこだったかな、と独り言を言いながらクローゼットの扉を開けた。
無造作に吊るしたシャツや上着をかき分けて、奥から厚手のジャケットを引っ張り出した。
棚の上の小さな箱が目に入った。
贈る相手を失った指輪を、いつまで手元に置いておくのか……
婚約解消の名残りにため息がこぼれる。
ミャー、と鳴く声に足元に目をやった。
「おっと、扉にはさまれるところだったな」
小さな体を抱きあげて、滅入った気分を払しょくするように、両手で勢いよく扉を閉めた。
「昼は温かいらしい。窓のそばで日向ぼっこできるぞ」
そうなの? よかった……とでもいうように、ミャーと答える猫に微笑み返す。
つぶらな瞳が、箱の中のダイヤの輝きと重なった。
「飯を食うか」 と大きな声を出して脳内の画像を打ち消した。