冬夏恋語り
「県内の麻生姓が多いところだから、そうじゃないかと思った。
昔は遠くへ移動することがあまりなかったからね。
集落内で婚姻が繰り返されて、同姓が増えていったんだ。
そこに住んでる人みんなが親戚、なんて地区もあるよ」
「わぁ、すごい。名前からそんなことがわかるんですか」
もともと、麻生姓には関東南部と九州北部にルーツがある。
君のお父さんの一族は九州北部の流れだろうね、と得意分野を披露した。
「民俗学、奥が深いわ」
「それほどでも」
すごい、すごいと手を叩いて褒め称えてくれる。
なんて素直な人だろう。
褒められ調子に乗って、彼女の名前の由来を聞いてみた。
「麻生さんの名前、恋に雪だったね。お父さんがつけたの?」
「そうです、父がつけた名前です。そんなこともわかっちゃうんですか?」
「これは予想しただけ。娘に雪の恋と名付けるのは、きっとお父さんだと思ったんだ。
男って案外ロマンチックなんだよね」
「あっ、わかる。母親って、意外に現実的なんですよね。
恋に雪でこゆきなんて、読めないからやめてって反対したみたいですけど、父が譲らなくて、母が折れたそうです。
私、自分の名前がすごく気に入ってるので、私のことは こゆき でお願いします」
作戦は大失敗だった。
余計なことを言ったばかりに、彼女を 「こゆきさん」 と呼び続けることになったのだから。
ワンプレートに盛られた朝食は、
「好きな物を、はさんで食べてくださいね」
ファーストフード店でしか食べたことのない平たいパン (イングリッシュマフィンという名のパンだと初めて知った)、ゆで卵、生野菜とハム。
自分の失敗にうんざりしながら、こゆきさん手作りのイングリッシュマフィンにがぶりついたのがいけなかった。
喉に詰まらせ、あわや呼吸困難となりかけた。
「ゆっくり食べてくださいね」 と優しい言葉をかけてもらったのだが、そこにかかってきた電話で、朝の穏やかなひとときは終わることになった。
電話の相手を確かめたこゆきさんの顔が曇る。
『おはようございます。はい、はい……これからですか? わかりました。では、あとで』
ため息をひとつつき、申し訳なさそうな顔で俺を見る。
「ごめんなさい、急に出かけなきゃならなくなって」
「わかった。すぐしたくするから」
せっかく作ってもらった食事を残すのは本意ではないが、この際しかたない。
「いいです、いいです。ゆっくり食べてください。鍵はポストに入れといてください」
「えっ、けど」
「ホント、いいですから」
先に食べ終えた恋雪さんは、洗面所で身支度を整えバッグを持って玄関に向かった。
が、「忘れ物」 と言いながら戻ってきた。
棚の引き出しから出した小箱が見えて息をのんだのは、俺が後生大事に持っている箱に酷似していたから。
箱から取り出したリングにはダイヤがはめ込まれ、それを無造作に左手薬指にはめた彼女には、もっと驚いた。
「これ、忘れると嫌味を言われるんです。じゃぁ、行ってきます。あとお願いします」
玄関から飛び出していった恋雪さんの背中を呆然と見送った。
俺は、婚約者がいる女性の部屋に転がり込んだのか。
なんてことだ……
酔いつぶれて彼女の部屋に泊めてもらっただけで、やましいことはありません、と言っても信じてもらえないだろう。
婚約指輪をはめ忘れた恋雪さんに嫌味を言う男だ、嫉妬深いに違いない。
誰かに見つかる前に早々に立ち去らなくては、恋雪さんの心づくしが台無しになってしまう。
玄関ドアから秋の冷気が滑り込んできた。
足元にやってきたタァーが、どうしたの? と聞くようにミャーと鳴いた。