冬夏恋語り
店に客が入ってきて、接客に向かった愛華さんを横目で見ながら、ハルさんが口の端をニッと緩ませた。
「タケちゃん、どうだい」
「はい?」
「夜這いの条件はそろってる」
「えっ? いやいやいや、春山さん、冗談はやめてください。それより、本題に戻りましょう。
えっと、どこまで聞きましたか。そうだ、青年会がそういう経験をする、そんな話でしたね」
愛華さんのもとに夜這いとは、男にとって垂涎ものだが、麻生家には年頃の男子がふたりもいるのだから、おいそれとは実行できまい。
と思いながらも、あらぬ想像が頭を駆け巡る。
顔が赤くなるのを抑えながら、それた話を必死で本筋にもどした。
「イロハ、そうそう、大人のイロハは誰に教わるんですか」
いくつになっても男はその手の話が嫌いではない。
身を乗り出してきたハルさんに、必死の顔で問いかけると、嬉しそうに話の先を聞かせてくれた。
「後家さんが多かったみたいだよ。あと、経験豊富なおっかさんとか。
経験ができたら、男は若い娘の元に通う」
「ほぉ、家にいくんですか」
「家だったり、集会場だったりって言ってたな。
若い女にも集まりがあって、男たちと交流会みたいなのをやってたらしい。
そこで知り合って、会う約束をする。相性が悪けりゃ相手を変える。
けっこう、とっかえひっかえだったって聞いた」
「合コンみたいね」
見るだけで帰った客の相手をしながら話を聞いていたのか、話に再び加わった愛華さんから、なるほどと思う例えがあった。
そうなのだ、今も昔も若者が考えることは同じ。
ただ、出会いが目的の合コンではなく、その先を想定して相手を選ぶのだから、昔の方が一歩踏み込んだ関係だった。
いい時代だったんだなぁとミヤさんがしみじみ漏らし、またみなでうなずいた。
「のちに、武士の社会になって男が家を継ぐ時代がきて、嫁取り婚が主流になります。
女は自由を奪われ、権利もなくなる、受難ですね。
僕は、家も家業も女が継いだ方が上手くいくんじゃないかと思ってます。
『麻生漆器店』 は愛華さんが継ぐんでしょう?」
「さぁ、どうでしょう」
「でも、恋雪さんはもうすぐ結婚するから、継ぐのは愛華さんしかいないでしょう」
そこにいたみんなが、そろって 「えっ」 と声をあげ、戸惑い顔になった。
俺はなにかまずいことを言ったのだろうか。
「西垣さん、恋ちゃんから聞いてません?」
「なにを?」
「恋ちゃんの婚約者のこと」
「婚約指輪を忘れたら機嫌が悪くなる、あの彼のことですか?」
またみなが顔を見合わせた。
なんだ、なんだ、どうした。
疑問符を並べる俺の顔に、誰か説明してくれないのかともどかしく思っていたとき店のドアが開いた。
「また来やがった」 と、歓迎とはほど遠い言葉がハルさんから漏れた。
入るなり店内を見回した女性は、俺たちのことなど目にも入らないように、まっすぐ愛華さんへ向かった。
「こんにちは。恋雪さんはお出かけ?」
「こんにちは。問屋に仕入にいってます。今日はなにか」
「姉の孫の七五三の祝いに、恋雪さんにも来ていただきたいの。
ほら、ひとりだけ声をかけないのは可哀そうでしょう」
「お気遣いありがとうございます。ですが、ご親戚のお祝いに恋雪までお邪魔しては、迷惑になるのでは」
「そんな遠慮はいいのよ。私たちの顔もあるので、来てもらわなくては」
じゃぁ、また出直してきますね、と告げて女性は帰っていった。
「……姉の孫なんて、他人も同じじゃない」
愛華さんの声には、不快感が滲んでいた。
「どなたですか、いまのひと」
「恋ちゃんの、亡くなった婚約者のお母さん」
「亡くなった婚約者って、えっ……」
「恋ちゃんを、いつまでしばりつけておくつもりよ」
俺が酔って泊まった翌朝、電話で恋雪さんを呼び出したのも、さっきの人ではなかったのか。
「忘れたら嫌味を言われるから」 と言いながら、婚約指輪を指にはめた恋雪さんの顔を思い出した。