冬夏恋語り
料亭にあがった経験がないわけではない。
お偉方との気の張る宴席には 『雅』 ほどではないがそれなりの料亭が使われ、それなりの料理が用意され、上等の酒とともに料理を味わった。
いや、味わったと思っていたが、本当は食べただけだ。
『料亭 雅』 の料理はどれも美しく、美味しそうな彩りで盛りつけがなされている。
薄味で仕上げられた栗南瓜の味わいは言葉に尽くしがたく、舌が喜ぶとはこういうことかと思う。
ひとくち大に分けて箸先で口に運ぶと、ほくほくの歯ごたえと出汁の味が口いっぱいに広がった。
「美味しいですね」
「そうだろう。獲れたばかりの南瓜は味に深みがない。貯蔵して甘みが増すからね」
「栗も冷蔵すると甘みが増すそうですね」
「タケちゃんも詳しいじゃないか」
「農家の方に教わりました」
収穫したばかりの新鮮な野菜も美味しいが、寝かせることで味わいが変るものもあることを知ったのは、地方の暮らしのおかげだ。
地場の野菜をふんだんに使った季節料理は、今がまさに食べ時だ。
だから季節ごとに味わうのだとハルさんが語り、麻生姉妹が箸を運びながらうなずいている。
ミヤさんとヨネさんは女将を相手に歓談中で、俺は誰にも気兼ねなく料理と酒を楽しんだ。
「しあわせ……」
地元産の豚の角煮を頬張り目を閉じた愛華さんから、ため息のような声が漏れた。
ほろ酔いのせいで甘ったるくなった声は、良くも悪くも男心をくすぐる。
ほんのり染まった頬に密かにドキッとしていると、ハルさんの嬉しそうな声が聞こえてきた。
「愛ちゃんのその顔を見たかった。まだまだあるぞ、どんどん食べて」
俺のようににやけた顔を隠したりせず、満面の笑顔だ。
これが男の余裕だろう。
「はい、いただきます」
「恋ちゃんも」
「はい」
店ではケンカ腰だったのに、料理をまえにした麻生姉妹は、顔を寄せ感想を述べ合っている。
もともと仲の良い姉妹なのだ、言い合うことの方が珍しい。
『雅』 の料理は胃袋を満たし、楽しい会話と酒で体も温まった。
場所を移し 『丘の上ホテル』 のバーラウンジでは、水割りの氷が火照った体を冷ましてくれた。
寒いときは温かい料理が恋しく、温まれば冷たいものが欲しくなる。
人の欲望とは何と勝手なものか。
けれど、それが叶えられたとき、何とも言えない満足感を味わうことができる。
支払いの心配もない今夜は、最高の一夜と言って良い。
料亭の支払いはハルさんだったらしい。
らしいというのは、本当のところは俺にもわからないからだ。
『雅』 を出たあと、財布を取り出すために上着のポケットに手を入れた俺を見て 「いいから、いいから」 と言ってくれたのはヨネさんで、「大蔵大臣がいるから心配ないよ」 と言ってくれたのはミヤさんだった。
ということは、ハルさんこと春山さん持ちだったのだろうと想像しただけだ。
ラウンジで一時間も過ごしただろうか、「あとは頼んだよ」 とハルさんに言われ、その声を合図にヨネさんとミヤさんが立ちあがった。
麻生姉妹はその場で礼を述べたが、俺は三人をラウンジの外まで送っていった。
ここでの支払いは誰なのかと気を付けて見ていたが、誰も支払う様子はなく、ミヤさんが支配人に手を上げただけ。
ここの支払いは俺なのか? と、不安が胸をよぎり財布の中身を頭で数えていると、コートと封筒を持った支配人があとからやってきた。
ミヤさんがそれを受け取り、無言でポケットに突っ込んだ。
支払完了ということか……密かに胸をなでおろす。
すかさずヨネさんが 「車を二台」 と支配人に告げた。
三人のご隠居たちは、やることなすことすべてスマートだ。
「ありがとうございました」
ご隠居さんたちに頭を下げると、微笑だけが返ってきた。
俺もいつか、彼らのように振る舞える男になりたいものだ。
「話を聞くのはタケちゃんにまかせた。愛ちゃんと恋ちゃんを頼んだよ」
「はい」
いつの間に用意したのか 「龍太と翔太の夜食だ。愛ちゃんに」 と折詰を渡され、タクシーチケットまで握らされた。
俺の役目は、麻生姉妹の聞き役ということだ。
精一杯務めさせていただきますと、言葉にはしなかったが、そんな思いを込めて三人に頭を下げて見送った。