冬夏恋語り
先週もサークル会議のあと、「懇親会」 という名の食事会が行われた。
大学近くの居酒屋で、学生相手の店だけあり、メニューはどれも量が多い盛り皿だ。
20歳前後の彼らは、それはもう良く食べる。
俺にも食べても食べても足りない時期があったが、年齢を重ねるごとに量より質に変っていった。
美味しいものを味わいながら旨い酒を飲む、そんな大人の楽しみがわかってきたのだ。
わいわい大勢で楽しむ席もよいが、ゆっくり静かな時間を過ごしたい。
一次会で学生たちと別れて足が向いたのは 『小料理屋 なすび』 だった。
居酒屋でもそれなりに食べたが、茄子の素揚げを肴に地酒をあじわいたいと思ったのだが……
カウンターに腰を降ろした俺の隣には、北条愛華が座っていた。
学生たちに 「カラオケに行きませんか」 と誘われたが、ひとりで飲み直す心積もりで、
「僕がいない方がいいだろう。あとは気楽にやってくれ」
と上手く抜けたつもりでいたが、北条愛華に腕をつかまれ、
「私、風邪気味なのでカラオケはやめておきます。先生と同じ方向ですから一緒に帰ります」
誰もが納得することを言い、まんまとついてきた。
この子には弱みを握られているので、ついてくるなと強くは言えない。
「一時間だけ」 と言い聞かせて連れてきたのだが、元来社交的な彼女は、瞬く間におかみさんと仲良くなり約束の一時間はとうに過ぎている。
「アイカちゃん、駅前の北条不動産と親戚かな?」
「はい、北条不動産は祖父がやってます」
「やっぱり! 苗字からそうじゃないかと思ってた。おじいさん、お元気?」
「はい、今度はおじいちゃんも誘って来ます」
「どうぞ、どうぞ。お待ちしてますね」
いやいや、それは困る、この子に常連になられては、せっかく気に入った 『なすび』 で息抜きができなくなるではないか。
この辺で切り上げようと立ちあがったところ、北条愛華がさっそく腕を絡めてきた。
「アイカちゃん、西垣先生のガールフレンド?」
「はい、そうです!」
「ウソを言うな、ウソを。ただの教え子だ」
カウンターの向こうで包丁に向き合っている板さんの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
彼もちゃんと話を聞いているらしい。
「えへへ、冗談です。先生には待ってる彼女がいますもんね」
「あら、そうなの? アイカちゃん、西垣先生の彼女さんを知ってるの?」
「知ってます。小さくて、すごく可愛くて、これくらいの猫ちゃん。マンチカンですよね」
「猫ちゃん?」
メスの猫を飼ってるんです、と種明かしをすると、おかみさんに盛大に笑われた。
このときばかりは板さんも笑いをこらえきれないのか、肩を震わせていた。
「またのお越しをお待ちしております」
まだ笑いが抜けない声でおかみさんに見送られ、俺の秘密を暴露して得意そうな北条愛華を促し店の外に出た。
「ねぇ、センセイ」
「うん?」
「わたしのこと、アイカ、って呼んで」
「ダメだ、特別扱いはしない」
「えーっ、ケチ」
「ケチって、そんな問題じゃない。周りに変に誤解されるじゃないか」
「わたし、誤解されてもいいけどなぁ」
「俺が困る!」
ぷぅーっと頬を膨らませブーイングがあった。
「言うことを聞かないのなら、送っていかないぞ。独りで帰れ」
「それはヤダ……」
「この腕も離してくれないか」
「……ダメ?」
「ダメ」
しぶしぶ承知した彼女を家まで送って、俺はマンチカンの彼女が待つ家に帰った。
そして、今日、 『小料理屋 なすび』 にふたたび足を運んだ。
三度目ともなれば顔なじみだ。
カウンターからちらっと視線を送ってきた無口な板さんも、俺の顔が見えるとほんの少し顔を緩ませてくれた。
ちょうど暖簾をくぐってきたおかみさんにも愛想良く頭を下げたのだが、口元に指を立てられ声を封じられた。
おかみさんの目が奥の席へと向けられ、俺も視線に従い目を向けた。
そこには、恋ちゃんの背中があり、向かい合った男には見覚えがあった。
「おにいさん、どうしよう。もう耐えられない」
「恋ちゃん、もう少しの辛抱だよ。愛華もわかってくれるよ」
「でも……」
深刻な顔でやり取りが続いている。
見てはいけないものを見てしまった。
いや、見たくないものを見てしまったと言った方がよい。
顔をそむけ、おかみさんに 「また来るよ」 と聞こえるか聞こえない声で伝えそそくさと店を出た。
わけもなく残念な思いが湧き上がってきた。
あの二人は、そういう仲だったのか……
ショックを受けながらも、俺の頭は冷静に二人の関係を見極めていた。