冬夏恋語り
「僕は雇われ店長なんだ。リストラにあってね、会社から転職先を紹介されたけど、馴染めなくて半年で辞めた。
そこそこ貯金もあったから、次の仕事はじっくり探すつもりでいたんだけど、僕がずっと家にいるのがストレスだと妻が言い出した。
世話がかかるとか、世間体がよくないとか、邪魔だとか、娘にまで邪険にされて、家の中で孤立して、気がついたら離婚だよ。
亭主元気で留守がいい、ってCMあったでしょう、西垣さん、知ってる? おかみさんは知ってるよね」
俺は首をったが、おかみさんは 「もちろん知ってますよ。林さんと同世代ね」 と嬉しそうだ。
カウンターと椅子席が三つだけの店はこじんまりとして、ほどよい狭さが心地良い。
店に来たときは椅子席にいた客も先ほど帰り、知り合いだけの気楽さに店長の話も軽快に進む。
「仕事仕事で、家に僕の居場所がなくなっていたんだって、いまならわかるんだよね。
離婚しても、妻は娘と楽しそうにやってるよ。
僕は家も職も家族もなくして、ないないづくしだ。
見かねて声をかけてくれたのが、前の仕事のお客さんだった新名さんでさ、ペットショップの店長の空きがあるからやってみないかと言ってくれたんだ。
ペットなんて飼ったこともないし、動物は苦手だと思ったけど、離婚のとき貯金を妻に渡したから余裕がなくなった。
それでも子どもの養育費を払って、自分も暮らしていかなきゃならないからね、与えられた仕事を必死に覚えたよ。
いざ動物に接してみたらそれほど嫌じゃなくて、だんだん面白くなって、夜間部がある動物専門学校に通って、仕事をしながら勉強した。
もともと勉強は苦手じゃないから、久しぶりの学校が楽しくてね、卒業試験はトップだった」
店長までの道のりを語る言葉は自嘲気味だったが、転機が訪れたあとからの数年は意欲的に過ごしたのだろうことが伝わってきた。
動物専門学校首席卒業って自慢になるかな、という店長の顔は、照れながらも自慢げで 「なる、なる」 とみなでうなずいた。
勉強は苦手ではないという店長は、難関大として知られる大学の卒業だと、これは井上さんがそっと教えてくれた。
「仕事も案外相性がよくてさ、毎日楽しいよ。
前の会社の同僚には ”おまえがペットショップとはね” と驚かれるけどね。
人生、わからないものだよ。
差しのべられた手を取るのも悪くない、捨てる神あれば拾う神ありって言うだろう?」
来年年男だよと自ら年齢を披露した店長は、この歳になって、人生の在り方がわかってきたと深い言葉を漏らした。
挫折も苦労もなくて、幸せだけに包まれて暮らしている人なんていないんだよ、それから一人では生きていけない、だから人は動物に癒しを求めるんじゃないかなと締めくくった店長の言葉は、そのまま俺に当てはまる。
マンチカンに出会い、日々癒されている。
ミューは俺に安らぎをもたらしてくれた。
「ですね……私も拾われた口だから」
「井上さんも、新名産業のオーナーに?」
店長の長話を整理して、しっかり頭に入れているおかみさんは、問いかけにも無駄がない。
「私は、動物病院で働いていたんですけど、いろいろあって、離婚と同時に辞めました。
クリーニングを引き取りに行ったとき、『ニーナ』 でトリマーを募集していると聞いて、紹介してもらったんです」
私も暮らしていかなきゃならないのでと、そこで店長と顔を見合わせてふっと笑った。
井上さんの年齢はわからないが、笑った時の目尻の感じから30歳を少し過ぎたくらいだろうか。
もっとも俺には女性の年齢を見抜く才能はないので、あてにはならない。
「井上さん、お子さんは?」
「いません。いつか欲しいと思ってるうちに別れちゃったので。
早く産んでおけばよかったなって、今ごろ思います」
「諦めるのは早いわよ」
いくつに見えますか? と試すように聞いた井上さんへ、おかみさんは 「33歳」 と迷いもなく口にした。
わぁ、ぴったり、と井上さんが手を叩いて驚いた。
「井上さん、まだ若いじゃない……私ね、35歳で結婚したの。息子が二歳の時に離婚したけどね」
今度はおかみさんの身の上話がはじまり、店長も井上さんも親身になって聞いているが、俺はすでに知っていることでもあり、料理に専念することにした。