世界で一番好きな人
「それで、どうしたの?」



橋の欄干に寄りかかりながら、掛川さんが訊いた。



「掛川さん、私……、結婚、だめになっちゃった。」


「……そう。」



掛川さんに話したら、涙が止まらなくなった。
ぽろぽろと、新しい涙があふれてくる。



「確かに私も、色々悩んでたけど……。でも、それでも、たくさん夢があったのに。一人じゃ叶えられない夢が、あったのに。」


「また見つければいい。」


「でも……、時間がないの。」


「時間?」


「だって、今からやり直してたら、結婚、いつになることやら……。」


「そんなに結婚したいの?」


「結婚しなきゃ、幸せにはなれないもん。」


「そう?そうかな。」



掛川さんは、ふっと優しい笑みを浮かべる。

吸い込まれそうなその瞳に、私は目を奪われてしまう。



「瞳子さんは、もっと本能的に生きてみたらどう?」


「……本能、的?」


「そう。好きな人と、溺れるような恋に落ちてみるとか。」


「でも、一番好きな人と結婚しても、上手くいかないって。」


「結婚をゴールにしてはいけないよ。道ならぬ恋でも、先のない恋でもいい。ただ、身も心も焼き尽くされるような恋をしてみたらいい。」


「そしたら、幸せになれる?」


「幸せの定義は人それぞれだけれど……、きっと、自分にとって本当の幸せとは何かが分かるはずだ。結婚するなら、それからでも遅くない。」



どこか遠くを見つめながら話す掛川さんの言葉には、一言一言に重みがあった。
そして、何だか今なら、その言葉を信じてしまえるような気がした。



「掛川さんは、そんな恋をしたの?」


「ああ。随分昔のことだけど。」


「結婚は?」


「結婚もした。」



そうだろうな、と思う。
掛川さんは、昔は絶対にもっとかっこよかったはずだ。
そんな彼が、結婚していないはずはない。



「アンジュールに帰ろう。聴かせたい曲がある。」


「聴かせたい曲?」



掛川さんは、黙って頷いた。
そして、来た道を引き返す。

その背中を追う私は、とっくに涙など乾いていた。

もうすでに、彼に夢中になっていたから―――
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