世界で一番好きな人
「なかなか面白かったね。」


「ええ。途中、泣きそうになっちゃいました。」


「泣いたらよかったのに。」



掛川さんが、いたずらっぽい顔で、私の潤んだ瞳を見つめる。



「掛川さんは、泣かないんですね。」


「私は映画を観たくらいでは泣きませんよ。私を泣かすことができたら、瞳子さんをほめてあげましょう。」


「そんなに自信あるんですか?」


「そう。自信があるんです。」



そう言われると、掛川さんを泣かせたくなる。
でも、どうしたら泣かせられるかなんて見当もつかなかった。
ただ、いつの日か絶対に、泣かせたいと思った。

そのときは、悲しみの涙ではなく、温かい涙がいい。
私も一緒に、涙を流せたらいい―――



「少し歩きましょうか。夜風が気持ちいいですよ。」


「そうですね。」



掛川さんと、夜の街を歩く。
街中は、街灯やネオンに照らされて、それなりに明るい。
でも、都心からは離れたこの街ならではの、寂れた雰囲気も確かに感じられた。



「なんだか、寂しいですね。」


「寂しいの?」


「あ、いえ……。この街が、です。」


「私がいても?」


「もちろん、掛川さんがいれば私は寂しくないですけど。」



掛川さんが、優しく私の手を握った。
指の間に交互に指が滑り込む。
これって、恋人つなぎ―――



「ふふ、恋人同士みたいですね。」


「恋人同士ですよ。私と瞳子さんは。」



私が一方的に告白をしたあの日から、掛川さんと何度も会って。
薫ちゃんの存在を知ってからは、3人で過ごすことも多くなった。
でも、今まで掛川さんは、一度も私たちの関係に名前をつけたことはなかったから―――



「嬉しいです。とっても。」



思わず涙声になった私を、心配そうに掛川さんが覗き込む。



「どうしたんです、瞳子さん。」


「だって、恋人でもいいんですよね?私と、掛川さんは……」


「そんなこと、誰かに肯定してもらわないといけませんか?」



掛川さんは、優しい優しい声で言った。



「もうすでに、私たちは共に時間を重ねているじゃありませんか。私たちは、恋人同士でなければどんな関係だと言うのですか?」


「そう、ですね。」



ふっと笑って、掛川さんは私を抱き寄せた。
薄暗い街の中で、立ち止まるふたつの影。
私は初めて、掛川さんに優しく抱きしめられたんだ―――


そして、小鳥が挨拶するような、優しいキスを落とされて。



「さあ、そろそろ寒くなってきましたね。家に帰りましょうか。」


「でも、掛川さん……、もう、終電の時間、」


「分かってるよ。今日はうちに泊まってください。明日の準備はしてある?」


「実は……持ってきたから……。」


「そう。それならよかった。」



泊まる気満々のように思われたくなくて迷ったけれど、結局出勤するときの鞄を持ってきてよかった。
掛川さんは、私の小さな駆け引きなんて、気にも留めずに微笑む。



「続きは私の家で。」



その一言で、私が一瞬にして真っ赤になったのは言うまでもない。

掛川さんは、罪な人だ。
そして同時に、魔法のような人だ。
心の底からそう思った―――
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