世界で一番好きな人
「おじゃま、します。」
「あ、瞳子さん!」
「薫ちゃん。」
私を見るなり駆け寄ってくる薫ちゃん。
少し迷った後、私に思い切り飛びついてきた。
その温もりに、涙が出そうになる。
「瞳子さん、遠足ね、楽しかったよ!」
「ほんとー?よかったね。」
「うん!……でもね、寂しくて、夜ちょっとだけ泣いちゃった。」
ははは、と掛川さんが笑う。
「薫さん、瞳子さんにはやけに素直だね。」
薫ちゃんのしなやかな髪を撫でると、彼女は嬉しそうに私を見上げる。
「瞳子さんに会いたかったの。」
あらら、と掛川さんがしぶい顔をする。
「それはあんまりですよ、薫さん。」
「だって、雪人さん……。」
薫ちゃんが、困ったように私たち二人を見比べる。
その仕草が可愛らしくて、思わず吹き出すと、つられたように掛川さんも笑った。
「私も、薫ちゃんに会いたかったよ。」
「ほんと?」
「ほんと。」
来てよかった、と心から思う。
ドアの前では躊躇して、掛川さんと薫ちゃんの時間を邪魔するのが、悪いことだと思ったりした。
だけど、私はこの小さな命に、必要とされている。
会いたかったと、そう言ってくれるこの子がいる。
やっぱり、掛川さんがいて、薫ちゃんがいて、三人だから幸せなんだ。
薫ちゃんが一日いなかっただけで、掛川さんとうまくいかなくなった。
それは、私が掛川さんを、私だけのものにしようとしたからだ。
薫ちゃんがいれば、掛川さんは私たち二人のものになる。
そして、その背後には自然に亡くなった奥さんもいる。
それを悲しいことだと思わないで済むのは、この子がいたからなんだと気付いた。
「さて、夕飯にしますか。」
「今日は、私が作ってもいいですか?」
「瞳子さんが?それは嬉しい。台所は自由に使ってください。冷蔵庫にある程度食材はありますよ。」
「じゃあ、食材を見て決めますね。あんまり期待しないでください。掛川さんみたいに、お洒落なお夕飯は作れないから。」
「ははは。楽しみにしていますよ。」
私の出来る、小さな罪滅ぼし。
掛川さん、ごめんなさい。
薫ちゃんも、ごめんね。
自分勝手でわがままな私を、許してくれてありがとう。
冷蔵庫を覗いて、それから台所に立つ。
ピカピカのキッチンに、年季の入った包丁やまな板。
これらが、亡くなった奥さんから、掛川さんへと受けつがれていったことを思うと切ない。
料理の腕を上げざるを得なかった掛川さん。
一体、どんな思いでこのキッチンに立っていたのだろう。
男の人が、一人で子育てをする大変さを思った。
そして、納得した。
そうか。
掛川さんがピアノを弾かなくなったのは、薫ちゃんを一人で育てると決意したからなのだろうか。
思い入れのあるピアノ。
世界的なピアノ奏者と言われるまでに、掛川さんの得意なピアノ。
それを捨てても、薫ちゃんを育てたかったのではないだろうか。
いつも一緒にいて、寂しい思いをさせないように。
背後で、薫ちゃんが歌う遠足の歌に合わせて、ピアノの音が響き始めた。
掛川さんは、この家ではピアニストになる。
薫ちゃんだけのピアニストだ。
私にも、そんなお父さんがいたらよかった。
優しさで、包み込んでくれるような。
こんなに素敵なお父さんがいたら。
そしたら私も、幸せになる方法に気付けたかもしれないのに。
私は、瞳を潤ませながら鍋の底を見つめる。
コトコトとシチューを煮込みながら、いつまでも止まないピアノと歌声に、ずっと耳を澄ませていた。
「あ、瞳子さん!」
「薫ちゃん。」
私を見るなり駆け寄ってくる薫ちゃん。
少し迷った後、私に思い切り飛びついてきた。
その温もりに、涙が出そうになる。
「瞳子さん、遠足ね、楽しかったよ!」
「ほんとー?よかったね。」
「うん!……でもね、寂しくて、夜ちょっとだけ泣いちゃった。」
ははは、と掛川さんが笑う。
「薫さん、瞳子さんにはやけに素直だね。」
薫ちゃんのしなやかな髪を撫でると、彼女は嬉しそうに私を見上げる。
「瞳子さんに会いたかったの。」
あらら、と掛川さんがしぶい顔をする。
「それはあんまりですよ、薫さん。」
「だって、雪人さん……。」
薫ちゃんが、困ったように私たち二人を見比べる。
その仕草が可愛らしくて、思わず吹き出すと、つられたように掛川さんも笑った。
「私も、薫ちゃんに会いたかったよ。」
「ほんと?」
「ほんと。」
来てよかった、と心から思う。
ドアの前では躊躇して、掛川さんと薫ちゃんの時間を邪魔するのが、悪いことだと思ったりした。
だけど、私はこの小さな命に、必要とされている。
会いたかったと、そう言ってくれるこの子がいる。
やっぱり、掛川さんがいて、薫ちゃんがいて、三人だから幸せなんだ。
薫ちゃんが一日いなかっただけで、掛川さんとうまくいかなくなった。
それは、私が掛川さんを、私だけのものにしようとしたからだ。
薫ちゃんがいれば、掛川さんは私たち二人のものになる。
そして、その背後には自然に亡くなった奥さんもいる。
それを悲しいことだと思わないで済むのは、この子がいたからなんだと気付いた。
「さて、夕飯にしますか。」
「今日は、私が作ってもいいですか?」
「瞳子さんが?それは嬉しい。台所は自由に使ってください。冷蔵庫にある程度食材はありますよ。」
「じゃあ、食材を見て決めますね。あんまり期待しないでください。掛川さんみたいに、お洒落なお夕飯は作れないから。」
「ははは。楽しみにしていますよ。」
私の出来る、小さな罪滅ぼし。
掛川さん、ごめんなさい。
薫ちゃんも、ごめんね。
自分勝手でわがままな私を、許してくれてありがとう。
冷蔵庫を覗いて、それから台所に立つ。
ピカピカのキッチンに、年季の入った包丁やまな板。
これらが、亡くなった奥さんから、掛川さんへと受けつがれていったことを思うと切ない。
料理の腕を上げざるを得なかった掛川さん。
一体、どんな思いでこのキッチンに立っていたのだろう。
男の人が、一人で子育てをする大変さを思った。
そして、納得した。
そうか。
掛川さんがピアノを弾かなくなったのは、薫ちゃんを一人で育てると決意したからなのだろうか。
思い入れのあるピアノ。
世界的なピアノ奏者と言われるまでに、掛川さんの得意なピアノ。
それを捨てても、薫ちゃんを育てたかったのではないだろうか。
いつも一緒にいて、寂しい思いをさせないように。
背後で、薫ちゃんが歌う遠足の歌に合わせて、ピアノの音が響き始めた。
掛川さんは、この家ではピアニストになる。
薫ちゃんだけのピアニストだ。
私にも、そんなお父さんがいたらよかった。
優しさで、包み込んでくれるような。
こんなに素敵なお父さんがいたら。
そしたら私も、幸せになる方法に気付けたかもしれないのに。
私は、瞳を潤ませながら鍋の底を見つめる。
コトコトとシチューを煮込みながら、いつまでも止まないピアノと歌声に、ずっと耳を澄ませていた。