世界で一番好きな人
「できました。」


「いい匂い!」


「ほんとだ。いい匂いですね。」



テーブルに、シチューを運ぶ。
もうもうと湯気が立って、いい香りも立ち上る。

私も、料理は得意な方だ。
母はいつも仕事で遅かったから、私は自分でごはんを作っていた。
掛川さんと同じように、私も料理の腕を上げざるを得なかったんだ。



「いただきます。」



三人で手を合わせる。



「おいしいです。なかなか本格的じゃないですか、瞳子さん。」


「母譲りの料理なんです。私の、数少ない得意料理です。」


「いや、ほんとにおいしい。」



その時、薫ちゃんがふと寂しそうな顔をしているのに気付いた。



「薫ちゃん?」


「……おいし。」



小さな声でそう言って、鼻をすする。



「薫さん、どうしたの?おいしくて、感動しちゃったの?」



掛川さんが、微笑みながら薫ちゃんの顔を覗く。



「……グスン。」



本当に泣き出してしまった薫ちゃん。
料理が口に合わなかったのかと、私は焦る。



「薫さん。私に言えないことかな?……いいんだよ。話してごらん。」



掛川さんが優しい口調で促すと、薫ちゃんはそっと口を開いた。



「お母さん……。」



一言そう言って、また泣き出してしまった薫ちゃん。
掛川さんは切ない顔で微笑みながら、薫ちゃんをそっと抱きしめた。



「そうか。薫さんは、瞳子さんの作ってくれたごはんを食べて、お母さんを感じたんだね。」



小さく頷いて、泣きじゃくる薫ちゃん。
私も泣きそうになって、うつむく。



「薫さんは、瞳子さんがすき?」



また頷く薫ちゃん。



「うん。そうか。」



掛川さんも泣きそうな顔で、薫ちゃんをぎゅっと抱きしめた。

私も、抱きしめたかった。
掛川さんと、薫ちゃんの二人を一緒に抱きしめたかった。
私の存在が、二人の傷を癒すなら。
私なんて、奥さんの代わりでも、お母さんの代わりでも構わないと思った。

だけど、それは掛川さんが許してくれないということも、知っていた。



「さあ、シチューが冷めるよ。食べなさい、薫さん。」



言われて、素直にスプーンを握った薫ちゃん。
落ち着いたようで、今度はにこやかにシチューを口に運ぶ。

私は何とも言えなくて。
だけど、そんな薫ちゃんの顔を見ていると、切なさと幸せが胸いっぱいに広がるようだった。



「瞳子さん、ごめんなさいね。」



苦笑したような掛川さんに微笑みを返す。

先のない私たちの関係が、薫ちゃんの気持ちを左右してしまう。
薫ちゃんがその小さな胸を、私の出現のために痛ませているのだとしたら。
それはもう、私たちだけの問題ではないのだと実感する。

やっぱり私は、二人にとってよくない存在であることを、思い知った。
でも、どうすることもできないんだ―――
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