世界で一番好きな人
息を切らして飛び込むと、昨日の席に掛川さんがいた。
昨日と同じ、掛川さんの背中に馴染んだグレーの背広。

掛川さん、と呼びかけようとして。
同じタイミングで、ふっと彼が振り返った。



「瞳子さん。」


「掛川さん。」



ふわっと浮かべた笑みが、私を包み込む。



「どうしました?そんなに怖い顔をして。」


「怖い顔、ですか?」


「ええ。怖い顔ですよ。」



そう言われて、ぎこちなく表情を緩めてみる。
確かに、最近はずっと硬い表情をしていた気がする。



「傘、わざわざありがとうね。」


「あ、いえ。こちらこそ、ありがとうございました。」


「いえいえ。雨は、大丈夫でしたか?」


「ええ。おかげさまで。」


「それはよかった。」



掛川さんは、昨日と同じように私にメニューを見せてくれる。



「どうします?私は、今日はイトゴトルテにします。」


「イチゴトルテ?」


「ええ。一番のオススメはチーズスフレですが、これもなかなかですよ。バターの風味の利いたサクサクのタルト生地に、洋酒の利いたスポンジと生クリームが載っています。もちろん、イチゴも。」



掛川さんの説明が、あまりにもおいしそうで。
私は、いつの間にか笑顔になってしまう。



「私も、それにします。」


「瞳子さんは、真似っこですね。」


「だって、掛川さんの説明がおいしそうなんだもん。」


「ははは。」



嬉しそうに笑う掛川さん。
私はそれだけで、胸が一杯になってしまう。

こんなにも素敵な人に出会ってしまったことを、私は悲しんだ。


そして、その日は前の日よりも長く、掛川さんと他愛もない話をした。
お互いに、核心には触れず。
内容のない話ばかりだった。

でも、そんな意味のない会話をできることの意味が。
私と瑛二さんにないものだと、気付いてしまって。

なかなか帰ることができない私が、そこにいた。
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